20代で結婚と離婚を経験した。子供はいなかったが、パートナーと決して短くはない月日を重ねた。
解決すべき問題が、私たちにはいくつもあり別れに至った訳である。端的に言うと、寄り添うべき瞬間に寄り添えてなかった。相手を理解しようと試みても互いにそれが難しくなり、最終的には努力する事が出来なくなったから。
結果わたしはバツイチアラサー女の称号を手にしながら、仕事と恋愛に向き合い粛々と今日も過ごしている。
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離婚経験が私に残した負の産物は「冷めた自分の存在」である。
この存在は厄介な事に「離婚の事実」と「離婚した私」の距離を引き離してはくれない。これが私の離婚との距離感。一生懸命紡いだはずの愛情は、いとも簡単に崩れた経験と、その脆さゆえの落胆から次の恋愛が難しい。
たとえ新しい出会いがあってたとしても、ドラマで恋に落ちた瞬間にかかるような主題歌なんて流れてこなければ、誰かに好意を持たれる事にすら嫌悪感を抱いてしまう拗らせぶり…。
相手に自分の手の内を明かすまいと、まるで仮面を被ったような表面的な付き合いを好むようになった。
一歩引いた状態で感情を切り離し、保守的で薄っぺらい冷めた自分に葛藤を覚える。離婚との距離感に一番戸惑っていたのは、間違いなく自分自身だった。
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そんな離婚後、とある彼と出会った。秘密のベールをまとった彼には、不器用で付け入る隙を与えてこない壁を感じたものの、私と似たところに親近感を抱いた。
仮面をつけた者同士は、当たり障りない会話と距離感が心地良く感じた。その一方で、ただゆらゆらと目的のないまま漂流している気がして、このままでいいのかと立ち止まった。
「なくなる事が怖いから」
彼が仮面をつけている理由はこれだった。確かに形のあるものは崩れた時に分かりやすい一方で、それがもし表面的なものだとしたら、そこまでショックは大きくないのかもしれないかもと、自らの離婚経験と重ね合わす。
彼は仮面の私を鏡に映したかのような存在で、それが本当に正しい事なのか考えさせられた。
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知らないうちに自分を取り繕っていたのかもしれない。休息が必要な心を無視して、寂しさを感じないように誰かと過ごした。
これ以上のマイナスな感情を抱かないようにと平静を装う仮面を被っていた。それは離婚によって傷付いた気持ちを、見過ごすためのカモフラージュ。
でももし傷心した自分を受け入れる事が、スタートだとすれば…。別れによって冷めた自分が、次の恋愛を邪魔するのであれば…。
離婚との距離感をつくりだすのは、強がりのその仮面なのかもしれないと、彼に出会って気が付いた。
あぁなんだか逆に無理をしていたのかもしれない。グッと胸が熱くなった。
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多分また傷つく事が怖かった。
深入りすると別れた時が辛いから、離婚した事実に甘え、次のステップに行けない言い訳をしていたのだ。でも振り返ってみれば、離婚に至るまでの時間に学べた事や尊い瞬間は多かったはず…。
それが真実の愛とか、そうじゃなかったとかは今はどうでもよくて、その「時間」が存在していた事が人生において大切なのだと。
だから好きがわからないとか、恋愛が難しいからで終わりにしないで……。仮面を外して素直になって、手探りだけど恋をしながら、一緒に過ごしたい人を探せばいい。
もし、またその関係が終わりを迎えてしまっても人生の時間が過ぎていく事に変わりはない。
離婚を経験した事で冷めていた私だけど、いつか時間が柔らかく、私を溶かしてくれるのかなと思ったり…ね?
急がずに、深呼吸をして、仮面を外して…鏡の自分を見つめて。