おまもりをおまもりらしく使うなら、コンパクトで持ち歩けるものの方がいい。鞄や財布にちんまり入ってくれたり、キーホルダーのようにぶら下げられたり、いつどこへ行くにも一緒でいてくれたら心強い。
そして見た目は華やかで、おめでたさがあるといい。その方がご利益を感じられそうというのもあるし、日ごろ目に入るものだから、せっかくなら晴れやかな気持ちになれるものの方がいい。
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私はある曲をおまもりにしている。嬉しいときにも悲しいときにも、病めるときも健やかなるときも思い出して、心をもとの在り処に戻せるような、そんな曲だ。ロックバンドBUMP OF CHICKENの「HAPPY」である。
この曲で歌われているのは、生きることの本質的な部分にある痛みや、自分でもどうしようもない喜怒哀楽。それでも守らなければならない何かを思って、生きることを選ぶ力強さ。そういうものを、平易ではっきりとした日本語で繊細に描き、からっとしたロックにのせて堂々と歌う。
中には「なんて残酷で、切ないことを歌うのだろう」と思うような歌詞もある。歌詞だけできちんと読もうとすると、受け取る側としての心理的負担も決して軽くないかもしれない。私も初めて聴いたとき、歌詞の鋭さに心がぐわんと掴まれて、涙があふれて仕方なかった。歌詞を思い出して目頭が熱くなったことは、数えたらキリがない。
対してメロディーや曲調はカントリーっぽくもあり、軽やかで楽しい雰囲気が前面に出ている。曲調の祝祭感に誘われて、いつのまにか鼻歌まじりに聴いている。だからこそ、歌詞にはシビアなことが書かれていても、辛くならずに聴き続けることができた。
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曲を聴き続けるうち、私は歌詞をそらんじることができるようになった。ふとしたときに思い出して、歌詞について考え込んでしまうこともたくさんあった。その度、なんて深みのある曲なのだろうと思う。
この曲に出会ってからの10数年をそんな風に過ごした。そのうちだんだん、歌詞に込められた「自分の感情に対する目線」が、体に沁み込んでくるようになった。
それは「悲しみには、消えるものと消えないものもある。それと同じように、喜びにも消えるものと消えないものがある」という見方である。そして「消えない喜びに出会うためなら、生き続ける意味もあるのではないか」とこの曲は歌っているのだと、私は思っている。
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嬉しいときにも悲しいときにも「HAPPY」の歌詞が思い浮かぶ。軽やかではっきりとした、楽しげなメロディーと一緒に脳内に流れてくる。
嬉しいときには「ああ、もしかしたらこの嬉しさも、消えるものなのかもしれない。消えないで欲しいなあ。日記にでも書いておこう」と思う。悲しいときであれば「この悲しみは消えるのだろうか。まあ、この前の嬉しかった気持ちもいつの間にか忘れてしまっているし、そのうち忘れられるんじゃないかな」と思う。
私は学生時代、友人に「感受性の鬼」と呼ばれるほど感情の起伏が激しかった。小学校1年まで毎日欠かさず人前で泣いていたし、学年が上がるにつれ泣くことは減っていったものの、嬉しさも悲しさも怒りも、誰より先に、誰よりも強く、表に出すのが私だった。
それが最近なんだか、自分の感情との間に、心地よい距離感を持てている気がする。もちろんこの曲だけが理由ではなく、色々な経験を経て出来るようになったことなのだろう。でもこの曲が、私の感情との向き合い方を変える大きなきっかけになっていることは確かだ。
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私たちにとって、喜びを感じることは生きる希望でもある。だから、喜びは続くように、悲しみは癒えるようにと願う。その願いがいつしか「そうやって生きていくべきだ」という呪いになってはいないだろうか。
私たちにとって喜びや悲しみとは、一体どういうものなのだろう。その感情が消えるものか消えないものか、どんなメカニズムで決まるのだろう。私には分からない。ただ、コインの裏表のように、消えるか消えないかがランダムで決まるというものでもないだろう。そのときに自分で理解できるかどうかは置いておいて、きっとなにかしらの意味や理由があって、忘れたり忘れなかったりするのではないかと思う。
喜びは続くように、悲しみは癒えるようにと一辺倒に願うことは、自分の中に確かに存在する意味や理由を無視して、世の中の都合だけで自分の心をゆがめるようなものではないだろうか。
これは決して、自分の感情をわがまま放題にまき散らせばいいということではない。社会生活をする人間として、自分の中に感情を押し込めなければいけない場面もあるだろうし、相手に配慮して適切に伝えるべき場面もある。
ただ、自分の感情と向き合うとき、世の中一般の「こうすべき」をいったん手放して、ありのままにそれとして受け止める。「君は一体どこへ行きたいんだい?」と問いかけてみる。
そうすると不思議と、自分の感情の置き場が分かって、うまく気持ちを切り替えられるような気がするのだ。BUMP OF CHICKENの「HAPPY」はそんな風に、ありのままに自分の感情と向き合えるよう、考え方を切り替えるスイッチになってくれている。
「HAPPY」の後奏では「Happy Birthday」とコーラスで繰り返される。「Happy Birthday」と言ってもらうのは、別に誕生日だけじゃなくたっていい。生きることを選び続けてきたすべての背中を、優しく、そして力強く抱きしめてくれる。