どこで間違えたのだろう。そもそも小中学校はクラス替えなしで生きてきて、高校はほとんど女クラの学科に行ってしまって、大学はコロナ真っ只中で女子大に進学してしまった。22歳、未だに彼氏なしの処女である。
大抵の人は「何も間違ってないよ!」「出会いなんてこれからだよ、焦るの早すぎ!」なんて言ってくれるし、それが嘘だとも思わない。人生が80年だとしたら、ようやく4分の1を過ぎたあたりで、これから先チャンスなんていくらでもある。と思いたい。
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しかし、私は今、多分、人生で最も活きがいいときだ。若い。垢も抜けて、綺麗だね可愛いね、と言われるなら今しかない。あとはもう老いていくだけ。
そんな一番輝いている20代前半を、彼氏も無しに過ごして、今日もこうして一人カフェに来てエッセイを書いているのはどうなんだ。ちょっとはやはり焦るべきではなかろうか。手を繋いだこともキスもセックスもしたことないのは、普通の22歳からすれば経験が無さすぎるのではないか。
困るのは、そんな私に恋愛相談をしてくる輩がいることだ。長女でしっかり者(自分で言う)が故に、「彼氏と別れた方がいい?」なんて聞いてくる友人が割といる。
知らん。別れたらいい。しかし、そう答えると「でも」と彼氏との幸せな日々の一端を聞かされて、何とも言えない気持ちになる。私はそのナニもかもを知らないのに、ナニもかもを知っている相手に恋愛の道筋を教えてやるという意味わからん状況。それで相手はうまくいくのだから、私ってすごい。経験値0の恋愛マスターかもしれない。どこからともなく「耳年増なだけ」という正論も聞こえてくる。
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坂元裕二さんの作品が好きなので、「花束みたいな恋をした」を映画館に一人で観に行った。若い男女の出会いと日常と別れ。描写があまりにもリアルすぎる、とSNSで評判だったのもあり、楽しみだったのだが、終盤の泣き所で私だけが泣いていなかった。どこを見渡してもカップルがいて、泣いていて、私だけが主人公の気持ちがわからず、とにかくポップコーンを食べた。館内に数十人のすすり泣きが響く中、私のポップコーンを咀嚼する音が嫌に目立った。サクサクサクサク。
劇場を出るとき、無性に虚しくなった。みんな目を真っ赤にして、SNSでもレビューがたくさん書かれているのに、唯一共感できていない女がここに1名。いいなぁ、と心から思った。花束みたいな恋をしたい。
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恋愛がすべてではない。けれど、この世には恋愛で得られるものが多すぎる。出会いが無いとか人を好きになれないとか、恋人ができない理由は大抵が自分のせいだということもわかっているのだが、恋人がいる人は皆、そんなに頑張って作ったのだろうか。みんなガツガツしたから素敵な恋人がいる?そんなわけはなかろう。ふとした瞬間になんとなく、みたいな恋の実り方だってあるだろう。それが欲しい。
言い訳と言われるかもしれないが、それでもやはり私には出会いが少なかったような気がする。女子大を選んだことは本当にしくじった。共学を選んでおけばよかった。なんて、後悔してももう遅いのだけれど、学生で一度も恋愛したことがないというのは、すごく勿体無いことをした。
18歳の私へ。共学に行きなさい。女子大に行っても女子しかいません。共学に行きなさい。でないと、映画館でポップコーンを食べるしかない耳年増なだけの女になります。22歳の私より。