28年間生きてきた私の人生において、さよならを言えなかった人。もう言うことができない人。それは私の母だ。ある日突然起きた悲しい事故。永遠の別れ。36歳という若さで天国へと旅立った母は、命の灯が消えるその瞬間に何を思ったのだろうか。事故から27年経った今となっては、もうそれを知るすべはない。

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交通事故だったと聞いている。私が1歳になるちょうど20日前の夜のことだったと。だから私には当時の記憶が一切ない。もちろん、母の記憶も。親不孝な話だが、この世に「私の母」が存在していたという事実に対しても、なんだか不思議な気持ちになる。なぜなら、物心ついたときから「いなくて当たり前の存在」だったからだ。友達に母親がいることが当たり前のように、私にとってはいないことが普通だったのだ。

生まれて初めて出席した葬儀は、親戚でも知り合いでもなく母の葬儀だ。記憶はないが、わけもわからず、ただ立ち尽くしている自分が写真におさめられていた。何を失ったかもわからず、この世でただ一人、身近で母の死を悲しむことができなかった自分。幼いのだからしかたのないことだ。しかしこの数年後、母の死がどのような意味をもつのか身をもって知ることになる。

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親戚や祖母の知人に会うたび、みんなが私に向ける視線に、哀愁が混じっているのを幼いながらに感じていた。周りからすれば「私の成長=母が他界してからの年月」なのだ。周りが憐れむ気持ちに対して、しかたのないことだと思えるようになったのは大人になってからだ。当時の私はその視線が向けられるたびに胸が苦しかった。「誰も私のことをみていない。みんなお母さんがいなくなったことを、私の成長を通して感じて悲しんでいるのだ」と。もちろん、沢山の愛を周りから注がれたという実感もある。だから余計に寂しかったのだ。1番に愛を注いでほしいと思える存在が、もうこの世にはいないという事実に。

もし、まだ母が生きていたらどんな人生だったのだろう。もしかしたら今まで読んできた沢山の本に出会っていなかったかもしれないし、違う場所で生きていたかもしれない。母と買い物に行ったり、思春期になれば彼氏を紹介したり、もっと早くに結婚もしていたかもしれない。どんな世界を思い描いても、私が歩んできた人生にも、これから歩む人生にも、母はいない。ありがとうも、さよならも、直接言うことができない。「お母さん」という言葉でさえも、私は母に向けて言うことすら叶わないのだ。

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ただ1つだけ言うことができるのは、私は私の人生に感謝しているということだ。とにかく楽しんでいる。母がいないからではなく、「母がいなくても強く生きているよ」と、私の生きざまで証明することができる。記憶が無くても、母への思いが消えることはこの先一生ないのだろう。だってこの世でたった1人の生みの親なのだから。

年を重ねるごとに、写真の中の母に顔が似てきたなとつくづく思う。特に笑ったときの頬の辺り。DNAとはすごいものだ。親戚に会った時も「お母さんに似てきたね」と言われるのを嬉しく感じるようになった。誰の瞳にも、もう悲しみを帯びていないから。それは、母を失った悲しみを強さに変えて、それぞれが歩み始めている証拠だから。

お母さん、こんな娘だけど、どうか天国で見守っていてほしい。あなたの娘は自分の気持ちに正直に生きています。離れていても、私はあなたの娘であることに違いはありません。さよならではなく、ありがとうを。言葉が届かないなら花束を、今度持って行きます。私の大好きなひまわり、お母さんも好きだといいな。