あの春に戻れるなら、私はかけてあげたい言葉がある。
できれば「おめでとう」とたった一言だけでも。
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今年の春で、私が姉と絶縁して10周年になる。
周年だなんて不謹慎かもしれないけど、こうやって茶化さないとやってられないよと思いながら10年もの時が経ってしまった。
元々私達は本当に仲が良い姉妹だった。
私も姉もオタクだったし、どちらかが好きになったものは結局どちらも好きになって一緒に楽しんだし、友達が少なくても姉がいるから退屈することなんてなかった。
親との関係がうまくいかない時も、姉が間に立ってくれたり話を聞いてくれたから何とか悪い決断をせずに踏み止まることができた。
姉がいなかったら今もこうして生きてるかわからないな…なんて、そう思ったことも数えきれないほどあったし、例え恋愛体質の姉が何度異性関係で泣いてその度に慰める役目を担ったとしても、頼られる妹でいられるのが嬉しかった。そういう時、私はいつも誇らしい気持ちになった。
姉の方が大好きで絶対に幸せになって欲しかったし、姉の結婚式で泣くのが私の夢だった。
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けれど、10年前の春、姉は妊娠したことを告げてきた。
ちょうど私が卒業を控えて将来の不安と重なって色々な想いを抱えていた時期でもあり、
姉にかかりきりの親と進学について相談できない環境、相手の無責任さと幼さ、親になる覚悟なんて1ミリもない態度に腹が立って仕方なかった。
それでも相手と結婚して、もしうまくいかなくてシングルマザーになったとしても良いと産む意思を崩さない姉を絶対に許せないと思ってしまった。
女姉妹として生まれたけれど、私は絶対に花嫁姿を両親に見せてあげられないのに。
結婚式で最高に幸せそうなあなたを見て泣きながら「おめでとう」と言うはずだったのに、どうなるの?
今思えば、本当に自分勝手で考えが足りないと思うけれど、姉が大好きだからこそわざわざ苦労するような道を選ぶことが理解できなくて、どうしても「おめでとう」なんて言えるはずがなかった。
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それから10年、もう怒りなんてないけれど、仲良し姉妹に戻れるきっかけも掴めず、私が実家を出て一人暮らししている分、接する機会もなく、一度も会ったことのない甥はもう小学生になると親から伝え聞くくらいだ。
私は自分で寿命を決めているので、きっと次に会うのは私自身の葬式になるだろうと思う。
ああ、こんなふうに人生が自分の思い描いた通りに進むと考えて結局痛い目を見るのは、10年前と変わっていないなと今書きながら反省している。
だから、もしもあの春に戻れるなら、きっと私より何倍も何十倍も不安と恐怖と混乱でいっぱいだっただろう姉に、「おめでとう」はやっぱり難しくても、一言でも前向きな言葉をかけてあげたい。
願うだけで本当は決して戻ることはできないし、失われた10年を取り戻すこともできないけれど、どんな道をいっても応援してあげられる妹でなくて申し訳なかったと今なら思えるから。
せめてここでこっそり言わせてほしい。
妊娠おめでとう、あの春の姉へ。
そして遅くなったけれどまた新しい春を生きる甥へ、入学おめでとう。