私達人間は、十人十色。名前や顔、体型が異なるだけではなく、性格、能力も異なる。
得意なこと不得意なことも様々である。
上の世代に伝えたいこと。それは、みんながみんな同じようにできないということだ。
他人と比べ同じようにできるように求めることは、おかしいと考える。

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私には苦手なことがたくさんある。あげたらキリがない。
学校の授業では、数学、化学、世界史、英語、体育が苦手だった。
体育は運動音痴だから。その一言で終わる。
しかし、そのようなレベルの話ではなく、明らかに苦手なことが私にはある。
人と深く関わることが苦手であり、男の人自体が苦手な時期もあった。
そして、私は「覚える」ということが苦手だ。特にカタカナ用語が苦手である。一度聞いただけでは覚えられない。書くことも苦手で、大人になった今でもよく「サ」と「ラ」を書き間違える。
学校の授業で化学と世界史が苦手なのがよくわかる。何となくしか単語を覚えることが出来ず、ケアレスミスになるのだ。
暗記科目の世界史は壊滅的にできなかった。カタカナ用語のオンパレードだ。
「暗記するだけじゃん」と周りの人に言われても、カタカナ用語を暗記することができなかった。カタカナが言葉ではなく、ただの記号に見えてしまう。
現在も、カタカナ用語を仕事で扱っているが、一発で聞き取れた時のほうが稀である。
電話越しで言われたらおしまいだ。必ず聞き返す。「恐れ入りますが……」と付け加えて。
それでも聞き取れない時は、「ま、み、む、め、の『め』ですか?」というように聞く。
意地悪な方でない限り、それで答えてくださる。
電波が悪いようで……と言い訳したい気分だった。

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大人になって気づいたこと、私は目で見て覚えることが苦手だということだ。
学生の頃に知っておきたかった。
現在シンガーソングライターである私は、どのように歌を覚えているか。聴いてひたすら覚えているのだ。
歌詞とひたすら睨めっこしても覚えることができない。だから、覚えたい歌を自分で簡単に宅録し、それをスマートフォンに入れ毎日聴いている。
新しい曲でも歌詞カードを見ずに聴くだけで臨むことも多々ある。直前までにも歌う曲を耳で聴く。
そうやって歌ってきた。
仕事で、「これくらい覚えて」と言われたことがある。「できないことが恥ずかしい」と言われたこともある。
私は言い返さなかった。
「これくらい」とは言った本人の物差しに過ぎない。「恥ずかしい」という感情も、私の感情ではなく言った本人の感情だ。

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能力重視、能力社会のような状況は、能力社会を築き上げる人がいる限り、崩れることはない。
だが、そのような社会の中で声を上げることは、可能ではない。言いたくても言えない。難しい問題だ。
できること自体が当たり前ではない。できる人からするとそれが当たり前かもしれないが、私からすると当たり前ではないのだ。
人それぞれできること、できないことがあって当たり前だ。
それが、あたかもみんな同じようにできると思わないでほしい。
みんな同じようにできてしまえば、それはただのロボットだ。
私たちは個々で異なる生物。

個体が違えば様々なことが異なる。全て一括りにしないでほしい。
「あの子ができるのに何故あなたはできないの?」
それは個体が違うから。
名前や顔、体型が異なるだけではなく、能力も異なる。
だから、できないことを責め過ぎてはいけないし、そこから相手を否定してはいけない。
私たちはそれぞれ異なる生物なのだ。
仕事も勉強も趣味のことも全て、みんながみんな同じようにはできない。
そのような私たちをキツく責めないでほしい。