私は、半年前に、3年間付き合っていた彼とお別れをした。ずっと同棲もしていて本当に大切な人だった。付き合い始めたのは大学4年生の春。大学生にはよくある『半同棲』を経て、社会人になるタイミングで、2人で同棲するための家を探した。慣れないことばかりで社会にも出ていない2人が、ああでもない、こうでもないと悩み、わからないことばかりの中で大変だったけれど、大好きな人と一緒になる家を探すという行為はひどく愛しいものだった。
少ない貯金をはたいて、家具や家電、生活用品を選んだ。引っ越し前夜は彼の誕生日で、先に引き渡しを受けたまだまだ空っぽの新居の造り付けのカウンター席で出前のちょっといいお寿司を食べたことは今でも鮮明に思い出せる。
一度も喧嘩なんてしたこともなく、毎日が穏やかで愛しくて仕方がなかったのに、私は唐突に彼から「他に好きな人ができた」と伝えられた。2人で眠りにつくためにベッドに入ってから、横並びで顔も見ずに。
予想もしていなかった。職場で最近知り合った人らしい。3年間築いてきたこの関係は、こんなにもろく儚いのかと悲しくなりつつも、私は負けたのかと悔しい方が強かったような気がする。
私は「嫌だ」と言うのが精いっぱいで、彼も「そっか」と返すだけだったが、あれが別れだった、当時も今も明確に思う。それからあっという間に彼は、新しい部屋を見つけて、「来週末引っ越すから」と告げられた。
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彼は「別れよう」とも「さようなら」とさえも言わなかったし、私も言わなかった。
それでもこれが別れを意味していることも、彼にはすでに相手がいるのだろうということも、私が何を言っても彼の気持ちは変わらなくて、それを受け入れなければいけないことも、気づいて理解してしまうのが悲しかった。彼はそのままおやすみと言って眠りについた。
私は無言で布団をかぶって、彼が眠った頃を見計らって泣いた。眠れるはずもない。ただ現実と向き合いたくない、それだけだった。
彼の引っ越しの日は、私は仕事があったため、1人で起き仕事へ向かい、帰ってくるともう彼は居なかった。ポストに合鍵が冷たく残っているだけだった。
退去費やその後のしばらくの家賃を残してくれたのは最後の彼のやさしさだったが、お金で済むのかと、余計に辛くなるだけだった。
その家を引っ越すまでは地獄だった。家のそこかしこに彼との思い出があった。彼の物は何もなくても、家の中、家からの生活圏内すべてが彼との思い出だった。
最後にしっかり彼の顔を見たのはいつだろうか。彼から伝えられたあの瞬間から、しばらく同じ家にいたはずなのに、まるで顔も合わせずの生活だった。
だから、私が今でも思い出すのは、幸せだった日々の愛しそうに私を見守る優しい顔。彼は本当に優しく私を見つめる人だった。あの時しっかり別れと向き合っていれば、最低な言葉を1つでも吐き出していれば、顔を見てしっかり「さようなら」ができていれば、と、半年たった今も彼に囚われている私は思う。
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思い出というのは本当に厄介だ。「さようなら」を伝えることは一度手放すことなのではないか。しっかり手放すことで、自分の中で消化するいわば儀式なのかもしれない。
決して円満とは言えない別れ方をしたのだから、もう彼を好きになることはないと思うけれど、私は思い出の中の彼にまだ心のどこかで恋をしている。
どこかでばったりと彼に会えないかな、と時々思う。それは決してよりを戻したいとか、また仲良く戻りたいとかそういう類の感情ではない。普通に話して、嫌みの1つ2つでも言ってやりたい。
そして、最後に「またね」でもなく顔をまっすぐ見て「さようなら」と言って別れたい。これは過去の私との決別のために。