ああ。今年から就活が始まる。
就活ってどう始めるの?何をすればいい?
今のうちからできることって何?もう2年生から就活している子がいるの?
えー、無理。何もわからない。
母に相談のメールを送っても、自分の話しかしない。
「今日はママ友に『娘は東京の大学へ通っているの』と言ったらね、すごく驚いてくれて」
へー、『驚いてくれて』、嬉しかったんだ。
「あなたが就職したら、私まだまだ東京でたくさん遊べるわね」
あれ、私、東京で就職するんだ?就職活動も、また母の言いなりになりかけている。
母の喜ぶ姿が見たい。その一心で、必死に生きた
私は幼い頃から塾を掛け持ちし、ピアノを習っていた。
塾なんて行きたくないしピアノなんて好きじゃなかったので、何度も何度もサボろうとした。「今日は行きたくない!」って泣き叫んで、無理やり連れて行こうとする母に抵抗した。
でも結局連れて行かれて、習い事が終わったら時間帯が深夜だろうと「これだからアンタは!」なんて私と取っ組み合いをしながら怒鳴る。
塾のテストの点数が悪かったら、テキストの問題を一発で満点を取らないと晩ご飯を抜くと脅されたため、必死になって問題を解き続けた。
こんな鬼のような母と地獄のような日々を送りながらも、母の喜ぶ姿が見たい。その一心で母のために必死に生きた。
ストレスで病気がちになり、パニック障害に。母は私に無関心になった
そんな感じが約10年続き、私は高校受験を迎えた。
受験生の途中で志望校のランクを落としたが、見事志望校に合格した。母も私も喜び、育児にほとんど参加しない父も喜んでいた。高校生活が楽しみだった。
しかし、ここからが本当の地獄だった。
早速大学受験専門の塾に入れられ、買ってもらったばかりのスマホは没収された。塾まで車で迎えにきてもらわなければ帰れなかったため、自習が終わって母に「帰りたい」と連絡を入れたくても、その手段がない。私に塾が終わる夜10時まで、勉強させるためだった。
お小遣いも0円だった。祖母から貰ったお年玉5000円をちまちま使って、自分の好きなことをした。しかしそんなお金はすぐになくなってしまい、友達と遊びに行けないことがたくさんあった。
ストレスが溜まって病気がちになり、成績がどんどん落ちた。母は私に「病は気からって言うから大丈夫」とよくわからない慰め方をし続け、成績が落ちたからとまた様々な制約を設けてさらに私から自由を奪った。
そして高校3年生の11月、パニック障害で倒れた。心も体も限界だった。
受験生真っ只中で体調を崩した私を見て、母は私に無関心になった。
私は自分の人生を生きたい。母のロボットを卒業する
体調が回復せず、もう1年受験勉強を頑張ることにした。
そして志望校に合格した。母と私の長年の憧れ、東京の大学への進学。私も母も大いに喜んだ。
コロナ禍ということもあって、2年生の今年から上京し、一人暮らしを始めた。
東京での生活は昔から憧れていた分楽しいが、帰省するたびに地元で就職したいと思うようになった。
母にそう伝えると、母は私が東京で大学生をしていることを周りに自慢し、時々私の部屋を訪れて東京で遊ぶことが楽しみで、またそれも周りに自慢していると話した。だから、東京で就職してほしいという趣旨の話もされた。
私はずっと、自分の意志ができる前に母から指示され、その通りに動いてきた。自分で自分の管理ができず、高校生の時はパニック障害にもなった。
就職も母の言いなり?私はどこまで母の願望を叶えれば良い?
私は母が自分の経歴にコンプレックスを抱いていることを知っている。だから私に無理にでもやらせてきた。
しかし、私は自分の人生を生きたい。まだ就活の仕方はわからないけれど、私は地元で就職する。大学、そして東京で学んだことを、地元に還元する。
地元に帰っても、高校生までのように母の願望を全部聞かない。
今年から、母のロボットを卒業すると宣言する。