私の視野を広げたものは、高校時代の友人(Aとする)である。Aとは高校1年生のクラスが同じだったのだが、Aは私が人生で出会った人の中で最も努力家だった。
私がAと仲良くなったきっかけは、プロ野球の読売巨人軍の同じ選手を応援していたことだった。一緒に東京ドームまでジャイアンツ戦を観に行ったし、クリスマスも一緒に過ごすくらいの仲になった。
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高校生なんだから当たり前、という意見もあるかもしれないが、当たり前に有名大学に行くような子たちが集まった学校(県内トップ校に通っていた)での勉強は、私は本当に嫌だった。中学時代常に5位以内にいた私は、高校に入って自分の下の順位より上の順位の子が多いというギャップに立ち向かうことが出来なかった。
しかしAは1年次から常に上位に居続けた。そんなAの目標は国立大学の医学部に行くことだった。さらにAは双子で同じ高校に通っていたため、常に見えないプレッシャーと戦っていたに違いない。
私はこの高校に、Aと同じく、医学部に入るつもりで入学した。けれどもAと出会って、Aをずっと見ていくうちに、自分には医学部を目指す資格などない、と感じるようになった。私は、理系は医学部を目指す人が選択する道だと思っていた。そんな私は文系を選んだ。ここだけを聞くと、Aの存在は私の視野を狭めたのではないか、と感じるだろう。
けれどもそれは大きく違う。Aの存在は間違いなく私の視野を広げてくれた。というのも、私はAの姿を見て自分の選択を文系に変えるまでは、文系ではどのようなことが出来るのか、など知るはずもなかった。今もあの時文系を選んだことに全く後悔はないし、あの時の選択があったから今私は開発経済学という学問に巡り合えたと思っている。
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さて、そんなAと私は2年生ではクラスが離れた。Aは勉強に本腰を入れ始め、これまで毎日していたLINEも全くしなくなり、話しかけにいくことすらできなくなった。次元が違う。生きている世界が違う。そう思った。誕生日にだけくれるLINE。あ、私は影ながら応援するしかないな、と寂しい気持ちになった。
2年の3学期、新型コロナウイルスが日本にも広がり始めた。自粛期間、虚無になった私はふとAのことを思い出しては受験勉強に励んだ。
自粛期間が明けた頃には3年の6月になっていた。久しぶりに見たAはどこか不安そうな顔をしていたが、私はただ見守ることしかできなかった。けれども、私の誕生日、AはまたおめでとうLINEをくれた。今年は絶対来ないと思っていた私は、そこでやっと頑張ってねと声をかけることができた。
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私の受験も本格化してきた冬。自習室には私が一番尊敬し応援しているAの姿が常にあった。私は私立大学を受験したため、Aより1ヶ月ほど前に受験が終わった。自分が行きたい条件を満たした大学の中で最も良い大学に行けたと考えている。
これもAのおかげだろう。学力のギャップに立ち向かえなかった1年生。ここから少しずつでも努力ができたのはAがかっこいい背中を見せてくれ、私の視野を広げてくれたからだ。
私は3月の国立大学の合格発表の日までずっとソワソワしていた。自分の発表の時より落ち着きがなかったかもしれない。それはもちろん、Aから、合格したとの報告のLINEを待っていたからだ。LINEが来るとは限らないのに、ずっと連絡を待っていた。
もうそろそろ発表日かな、と思っていたその時、Aから合格した、とLINEがきた。私は自分の合格時の何倍も喜んだ。3年間頑張っている姿を見てきたからか、人生で一番と言っていいくらいに嬉しかった。
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Aは私の将来の視野を広げてくれ、努力するということを教えてくれた。大学3年生になった今、Aとは全く連絡を取っていない。Aは元気にしているだろうか、相変わらず努力家なのだろうか。このエッセイを機に、Aに連絡を取ってみよう。