最近、AI文章作成ツールというものをよく見かける。
入力されたテキストデータの文法や意味を理解し、それに基づいて文章を自動生成するという技術のことだ。文章を書く手間暇を削減することができるため、今後さらに普及していくと言われているらしい。まだ完璧ではなく、不自然な日本語や曖昧な情報が作成されることがあるとは言えど、とても優れた技術である。
そんなAIによる文章作成が大注目を集めている現代社会に反する形で、私が今でもゾッコンなのは「人間が生み出した文章」である。

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文字の読み書きが遅い私を心配して、学習塾で音読に力を入れてもらうという母親の策が功を成したのか、すっかり読書好きに育った私。特に小学生・中学生の頃は、超がつくほどの本の虫で、図書室に毎日通っていた。その読書好きっぷりは、国語の授業ですらご褒美に感じるほど。
そして、文章を読むことを通じて得意になっていったのが、文章を書くこと。読書感想文も、作文も、日記も、とにかく文章を書くことが楽しくて。受験期には小論文にどれだけ救われたことか。かがみよかがみにエッセイを投稿するようになったのも、社会人になってからものびのびと文章を書き続けたい!と思い立ったからだ。

そんなふうに文章の読み書きが本当に大好きな私。その中でも、文章に触れていて特に楽しいと思う瞬間がある。それは、書き手の癖を感じる瞬間だ。
文章なんてただの文字の羅列だ、と思う人もいるかもしれないが、実は意外とそんなことはない。同じテーマで文章を作るにしても、一言一句全く同じ文章なんて絶対に生まれない。
ワードチョイス、文法の使い方、表現の仕方、経験や気持ちの乗せ方……これらは全て、書き手(に)よって異なるもの。
さらに言えば、かったり冷たかったり、柔らかかったり硬かったり、文章の質感だって一人ひとり全く違う。そんな書き手の癖を発見した時、私はさらに文章に没入できたような気がして、心から楽しくなってくるのだ。

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しかし、最初に述べたように、今はAIによる文章作成の進歩や普及が期待されている時代。
もしかしたら、自分自身で文章を書くことをやめてしまう人もいるのかもしれない。

ただ、「便利だし、もう文章を書くのは全部AIに任せてしまえばいいじゃん」と言われれば、決してそうではない。

むしろ、それだけはやめて!と言いたい。
世界の技術の発展を表していると言っても過言ではないAIの技術に対して、こんなふうに異を唱えるのは、時代の流れに乗れていないのかもしれない。

それでも私は、色々な文章を通して、その文章を生み出した、貴方のことを知りたい。貴方の想いを感じたい。貴方だけの世界観を味わいたい。そう強く感じてしまうのだ。
これだけは絶対に、AIが作成した文章で、補うことができるものではないと思うのだ。

いくらAIが発展しても、私はこれからも、自分だけにしか書けない文章を書き続ける。そして、顔も知らない誰かが書いた、色んな想いが詰まった唯一無二の文章を、これからも読ませてほしい。
AIが発展し始めたこんな時代だからこそ、文章を読む・文章を書くということの価値や素晴らしさを、改めて見つめ直したい。