「雨の中で見る桜も、またいいですね」
春ってもっと、優しくて穏やかで暖かいものなはずなのに、あなたと会う日は何故かいつも雨だった。
あまりに雨が重なるものだから、何か意味があるのかと思って調べたことがある。
「意見が合わないことや喧嘩になることも多いが、雨降って地固まるというような人としての本質的な相性の良さがある相手」
ひねくれたあなたと違って私は単純だから、これを見たあとからは雨が嫌いじゃなくなったし、むしろちょっと嬉しかった。
◎ ◎
本当に時間が過ぎるのが一瞬で、心から本気で愛してると思える人だった。
熱を出した日、静かな水音で洗い物を片付けてくれたこと。
買ってきてくれた卵の封を、何も言わずに切ってくれていたこと。
料理中は、手伝わなくても隣に来て色んな話をしてくれるところ。
そういうところが、不器用な私への配慮で、不器用な彼なりの愛情表現だったのかもしれない。
「仕事、好きなんでしょ」
余裕がない人に「助けて」なんて言うのは難しい。大切なら尚更だ。それに気づくのも、電話であなたが別れを切り出した時だった。本当に愛して尊敬している彼だから、反省していくつか打開策をひねり出したけれど、あまりに曖昧な返答ばかりで、この関係に延命を望んでいないのだとわかって、素直に別れを受け入れた。
仕事とバイトの掛け持ち、友達との時間、資格勉強。全部頑張れていたのには、はっきりした理由があった。
あなたのことが本当に好きだから。心から尊敬しているから。10歳の差を、経験値で少しでも埋めて、対等な関係でいたかったのだと思う。正直自分の未熟さに焦っていた。
そのままでいいのならせめて言って欲しかった。
◎ ◎
別れた後の私はやけに明るく、職場で「機嫌が良いですね」と言われた。失うものがなくなったから、もうなんだってよかった。
割り切れたと思いこんでたし、あんまり痛まない。振り返ると、麻酔を打たれてる状態に近い。ふわふわして、心が軽くなって、こんな楽になってしまうもんなんだなとあなたとの別れが思ったよりも苦しくないから、それが悲しくて泣いた夜もある。
しかしこれは後から、鉛のような、押しつぶされそうな息苦しさと倦怠感に変わって押し寄せてくるのだ。じわじわと麻酔が切れていく感覚によく似ている。
無意識にあなたが聞いていると言っていたラジオを流して、あなたがいたら語りたかった本たちが部屋に散らかっている。苦手だったアイロンがけもチャレンジしてるし、ヨーグルトにはドライフルーツを入れて寝かせていた。
あなたが好きだったものは、私の好きなものになっていた。
あなたはいつだって姿勢が綺麗だったから、気づけば私も自然と背筋が伸びるようになっている。それは付き合ってすぐ、上司に「姿勢がいいよね」と言われて気づいた。そういうのがもう、染み付いて取れそうにない。
取る気もない。
私の中で息づくあなたにグッとなる。この痛みは、苦味は、忘れちゃいけない。簡単に楽になっちゃいけない。全部受け入れなきゃ、先には進めない。
もう一度あの春に戻れるなら、あなたと会う日がいつも雨の意味を2人で探したい。