幼い頃から、インターネットがどうとか、AIがどうとか、テレビでは技術革新を褒めそやす番組をやっていた。紹介される技術自体はすごいし関心するものであったが、生活はどう変わる…?とか、暮らしがもっと便利に!とか、そういう謳い文句には共感できなかった。あくまで新しい技術はテレビの中のもの。研究所みたいな近未来的などこかで、偉い人と賢い人が力を合わせて開発した崇高な理想。私の生活とは結びつかないと思っていた。

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しかし、大学を卒業してから、テレビ番組で驚きの表情を見せる芸能人と同じような感覚で、あの頃はああだったのに今はこうなったと感じるようになった。

例えば、映画館で腰を据えてみるものだった映画を、小さなスマホ画面で自由自在に選べるようになった。テレビや新聞から情報を得ていたのが、インターネットでよりリアルタイムな情報にアクセスできるように。あげくの果てには、ネコ型ロボットに配膳されるようになった。いまや、学校教育でタブレットが当たり前に使われるらしい。

四半世紀生きて、誰かの発明が実生活に反映される経験をやっとしたのだと思う。便利一辺倒でなく、軽快な音楽をかき鳴らしながらゆらゆら動くネコ型ロボットに出会ったことも原因の一つだろう。「世界は変わる」ということを、鮮やかな実感として得るようになった。今のところ安心できるスピード感で、これくらいなら22世紀にも車は飛ばないと思う。

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時代は変わる、栄える分野があれば廃れる分野もある、という事実を目の当たりにすると、自分が今陣取っているポジションは、果たして30年後にも有効なのだろうかと疑問に思う。現在地としては、今のところもてはやされているIT業界で、技術を使う側に回らないと淘汰されそうな仕事をしている。業界はまだマシか、と思ったが、過去に衰退していった業界だって、無くなるわけがないと思われた時代があったと思う。そう考えると、どこの業界もどんな業種にも永遠はあり得ないのだと気づく。この先80年の人生、足踏みしていたら落ちていく、浮き島みたいな世界を渡り歩いていかなければならない。道のりは途方も無くて、ちょっと体調が悪ければ全て投げ出してしまいたい気持ちにかられる。

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人生を投げ出すその前に、浮き島みたいな世界でどう生きていくか、どう生きていきたいか自分なりに考えてみた。そうして行き着いた答えは、時代の変化に振り回されすぎず、私にとっての幸福を拾い集めて生きることだった。仕事で言えば、崇高な理想や会社の評判ではなく、自分が毎日何と向き合って給与をもらうのか、その手段にフォーカスすることだ。

良い稼ぎが人生の最終目標なら、沈まない浮島の見極めに力を尽くして、どんどん上に上がっていけばいいと思う。しかし、困ったことに「幸せ」なんてあやふやなものを追い求めて生きているから、日常にどれだけ小さな幸せを散りばめられるかが肝なのだろう。目標や使命だけで走り抜けられるほど仕事は簡単じゃないし、ふてくされて過ごすには労働時間が長すぎる。

四半世紀生きてみて、生きてきて良かったと思えるような出来事や、素晴らしい成績を残して「ショーシャンクの空に」みたいなポーズをとれる機会は相当少ないと知った。数少ない人生のご褒美タイムまで、目先にニンジンを吊るしてフラフラ走るしかないのだ。そうして手段を極め、とうとう目的になっちゃった人が、より変態的な成果を残すのだと思う。幸せをたぐり寄せ、手のひらの幸せを見つめる夜が、きっと心中したいと思える浮島へと導いてくれる。