真面目に就活をしなかった。
なんとなく日々を過ごしていたら冬になっていて、さすがにまずいと思った私は初めて合同説明会へ行くことにした。可愛いからという理由で買ったMARY QUANTのグレーのスーツを着て参加したが、完全に浮いていた。

真っ黒なリクルートスーツの個性の出なさは企業側にとってもジャッジがしにくいのでマイナスだと思う。誰かがこれを変えて行かないといけないのではないか?と思い続けて早10年。令和になった今も、なにも変わっていない。

合同説明会ではどこへ行っていいのか分からず、そのへんにいたリクルーターの方に促されるまま座ったブース1社目。結果的に、そこが私の就職先となった。背の低いスキンヘッドの役員がいて、オレンジ色の太いネクタイが似合っていたので褒めた。

次の面接ではオーダーメイドのスーツが素敵ですねと褒めて、最終面接ではもう一度ネクタイを褒めた。「合同説明会でされていたオレンジ色のネクタイも良かったですけど、そのグリーンのネクタイもすごくお似合いです」。
簡単に受かった。だけど、別に私だから受かったとかではなくて、多分誰でも受かる会社だった。入社してから半年で同期の9割が退職することを知るのはまだ先で、その前に私たちは新人研修へと連れて行かれる。

◎          ◎ 

新人研修当日、少し早めに家を出た私は優雅にカフェへ行った。エスプレッソをドッピオで。少ない液体に見合わない量の砂糖を入れてからクイっと飲む。MARY QUANTのグレーのスーツは今日も可愛い。

時間になったので集合場所へ行くと真っ黒なリクルートスーツの集団がいて、すさまじい嫌悪感が込み上げてくる。今回の研修を仕切っている先輩社員のお姉さんがやけに明るかった違和感を受け流しながら、バスヘと乗り込む。

山奥に到着して携帯を開くと電波が立っていなかった。連絡が取れない憂鬱さに文句を言う暇もなく、部屋に荷物を置いたらすぐに集合だと言われる。このあたりから、あの、やけに明るかったお姉さんの言葉の端々に、ピリリとしたニュアンスが含まれだす。

—社訓って大声で叫ぶものなの?
—円陣を組んで声を出すことは社会人に必要?
—過呼吸で倒れる人が続出する新人研修って、社会的に大丈夫?

頭に浮かぶクエスチョンマークを深堀する時間がないくらいにさまざまな研修詰め込まれる。怒鳴られまくって、声を出し続けた初日。嫌です、とか言う隙や空気は一切ない。あんなにも嫌悪していたリクルートスーツの集団とは、負の感情を共感し合って秒で仲良くなった。

◎          ◎ 

2日目は50km歩かされる。チーム制で、どのチームが1番早く到着するのか競うとのこと。チームのリーダーを決めろと言われて、決めた。すると、怒られた。「リーダーに立候補しなかったお前らに意見はないの?お前ら、リーダーになりたくないの?」。

なりたくねえよ。なんて言えず、2回目のリーダーを決める時間が設けられる。なんかもうだるすぎて、「私、リーダーでいいよ」と言った。

山奥、50km、もちろん携帯は使えない。とにかくゴールを目指して7〜8時間歩く。後半、チームの女子は男子におんぶされていたし、何人かはギブアップして救護室へと運ばれていた。本当に過酷だった。

何位になったかは覚えていないけど、1位じゃなければ意味がないと罵声を浴びせられてその日も終わる。ホテルの部屋に戻ると、全部の足の指の爪から血が出ていた。1本とかじゃなくて、全部の爪から。怖かった。

3日目、最終日。体育館に集められる。前日一緒に頑張ったメンバーの駄目なところを叫べと言われる。駄目なところなんか3日で分からないし、言いたくもない。すると急に大音量で音楽が流れ始めた。B’zの『ultra soul』が鳴り響く体育館。この音に負けないくらい声を出さないといけないらしい。

肉体疲労と精神的ダメージがピークの中、駄目なところを叫ぶ。地獄だった。大きな声を出すとなぜだか涙が出てきて、だけどそれは私だけではなくて、みんな泣いていた。

全員が狂い始めていた。ボロボロの状態で意思に反する行為を行うと、崩壊する。先輩社員のお姉さんも一緒に泣いていて、頑張ったねと優しく言われたその時、ちょっとだけ仲間意識が芽生えてしまった。

◎          ◎ 

それから3年間、私はこの会社で働いた。よく働いて、結果を出して、出世もした。

会社の屋上にある喫煙所、私の横で煙草を吸うのはあの時どなりまくっていたお姉さんで、3年前に新人研修を受けた者ですと伝えると、「ああ、私の黒歴史だ。あの時やばかったよね、ごめんね」と、謝られた。当時は分からなかったけれど、彼女もまた被害者だったと今更ながら理解する。

私だけでなく、みんな、いろんな壁を越えて生きているのだ。そんな経験をしたからこそ、過去があるからこそ、これから先また壁にぶち当たっても大丈夫。思い出になると知っているし、笑える日が来ることも分かっている。

全部たいしたことではないということも含めて、大丈夫なのだ。