拝啓 心細い夜を過ごしている私へ。あなたがどれだけ強くてかっこいい人であるか聞いてほしい。

小3の春、家族に大きな変化があった。会ったこともない親戚のおじさんおばさんが家に押しかけてきて、リビングで何やら話をしている。私たち3姉妹の居場所はなく、当時はまだ誰の部屋でもなかった2階に避難していた。カーペットを敷いていない床は冷たい。

親戚のおばさんは良かれと思って話しかけてくれる。言葉と表情に「可哀想に」が透けて見える。あなたが可哀想と思わなければ、私たちは可哀想ではないのに。

眠れなくなった。はじめは、寝る前にトイレに行かないと不安だなと思うくらいだったのだ。それがいつの間にか、3度も4度も行かないと眠れなくなり、それでも夜中に目が覚めるようになった。またトイレに行って寝ようとするのだが眠れない。

大抵夜中の1時頃に目が覚めて、2時間近くして新聞配達のバイク音が聞こえると、少し安心して眠りにつけた。スマホはおろか携帯電話も持っていない。近くには田んぼが広がる住宅街。

世界には、私と、騒がしいカエルと、新聞配達員しかいないと思った。隣で眠る姉の寝息、よかった、生きてる。

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どうやら「中途覚醒」と分類されるらしい状況は年単位で続いた。毎晩どうか朝まで眠りたいと祈りながら眠りにつくが叶わない。そのうち目が覚めることにも慣れてしまって、覚醒時間をいかに楽しく過ごすか考えるようになった。

楽しくというより、寂しくない、不安でない時間を過ごすかを画策した。たどり着いた解決法は、同じ部屋で眠る姉に配慮して机のライトだけを点け、家族でハマっていた「うちの3姉妹」のマンガを読むことだった。昼間には推理小説やら黒魔法やらを好んで読んでいたが、夜中に1人で読むには怖すぎたのだ。マンガは2巻か3巻までしか持っていなかったので、登場する3姉妹が幼い頃のエピソードを、何度も繰り返して読んでいた。

数十ページ読めば、バイク音か眠気がやってくる。そうして穏やかな時間を過ごし、どうにか眠りについていた。

中学生になる頃には不眠も解消された。ウォークマンを手に入れてラジオを聞くようになり、わざわざ夜ふかしする夜さえあった。スマホを手に入れてしまえば1人ぼっちの夜を過ごすことなどなくなり、今も時折眠れぬ夜があると、SNSで「眠れない」と検索しては仲間を探している。

もう1人ぼっちじゃないよと、学習机の蛍光灯を頼りに「うちの3姉妹」を読んでいた私に伝えたい。それに、あなたは強くてかっこいい。

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あの頃の私が、感じていたストレスを言葉にしたり、置かれている状況を客観視したりできない年齢で本当に良かったと思うのだ。おばさんからすれば可哀想な環境だったのだと思うし、実際今の私が第三者として彼女を見たら、その人生に思いを馳せながらぎゅっと目をつむるくらいすると思う。

それでもあの頃の私は自分を可哀想だと思っていなかったし、本人がそういうのだから事実そうではなかったのだろう。第三者から自分がどう見えているのかを自覚して、自分自身の感情を捻じ曲げられてしまうことがなくて本当によかった。壁にぶち当たった時、可哀想な自分はそこから逃げる言い訳に十分なり得たと思う。

尊敬するのは、ただ眠れない夜があって、少しでも気楽な時間にするために対処した、その対応だ。大人になって、問題があれば原因を突き止めて対処することが当たり前になった。その方が根本的な解決にはなるが、そもそも原因が自分以外のところにあって解決できないケースだって少なくない。

眠れない夜をただ淡々と乗り越えようとした私の姿は、問題に直面すれば、どうしてこうなったのか、どう対処すればいいのかとくよくよ悩むことも多い今日この頃の私からすれば、随分頼もしい背中だと思う。

あなたは可哀想なんかじゃない。強くて、かっこいい人だ。