春休み中。今日は夕方からバイトがあっただけの、普通の日。インスタの利用時間は50分。良い調子。

かつて私は、人のインスタの投稿をさかのぼって文章やコメントを見たり、芸能人の投稿を見漁ったり、美味しそうなご飯屋さんを見つけるのが好きで、多い時では1日4時間くらいはインスタに費やしていた。インスタがない生活は考えられないくらいだったのに、なぜここまで利用時間を減らすことが出来たのか、私なりのルールや考え方について書きたい。

以前は、起きた時のベッドの中、行きの電車の中、昼休憩、授業中、帰りの電車の中、隙あらばインスタを開いていた。何をそんなに見ていたのか覚えていないが、他人の旅行記録やダンス動画、絵が完成する過程の動画など、コンテンツは色々だったと思う。「時間が溶ける」とはこのことかと思いながら、スクロールする手を止めることが出来なかった。

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当然だが、他人のキラキラ生活をずっと見せつけられていると、どんなに精神的になんともない日でも、自分と比較して気持ちが沈むことが増えていった。自分から見に行っているのに「見せつけられている」と思ってしまうのは、投稿者の承認欲求を必要以上に感じてしまっている証拠だろう。

承認欲求をあらわにしている人間というのは恐ろしいもので、隙がない感じがする。大抵そこには、楽しかった、嬉しかった、最高だった、○○ちゃん大好きとか、どこまで本当でどこからが建前かわからないような言葉が並ぶ。その写真に撮られている笑顔がどこまで本当なのか、ここに写っている人同士の友情も疑わしくなるほどである。これが非日常の切り取りだとわかっていても、あくまでもSNS上の演出だとわかっていても、自信の無さやネガティブな印象がみじんもない空間の外圧にいつの間にか引き寄せられ、自分が押しつぶされそうになってしまうのだ。あなたにもそんな経験はないだろうか。

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特にダメージが大きいのは、現実で関わりのある人の楽しそうな投稿である。私がいなくてもこの人は楽しそうな生活を送っているなと思ってしまったり、サークルの人で集まったストーリーが流れてくると、私は呼ばれなかったんだなと思ってしまったり……。もちろん私も集まりに呼んでもらうこともあるから、自分だけ仲良くしてもらえてないという事実はどこにもない。実際みんな自分に対して良くしてくれている実感もある。でも家で一人でいる時、自信を無くしているときに見ると、脆くなった感情が少しずつ崩れ始めるのを感じるのだ。

やっと目を覚ました私は、どうしてこんな無駄なことに時間を割いているのかと疑問に思い、見る時間を減らしたら精神衛生的にも良いのではないかと気が付いた。そんなにインスタのせいで病んでいたわけではないけれど、PMSの傾向があるため、その時になるとイライラや悲しみが止まらなくなってしまうというのもあった。

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まずは、知り合いのストーリーをミュートすることから始めた。先ほども書いたが、特に現実で関わりのある人のキラキラを見ることが一番ダメージが大きいからだ。「この前○○行ってたね~」という会話についていけなくなるリスクはあったし、フォローしてるくせにミュートにするなんて矛盾してるけど、護身のためである。実際に会っている人の情報は、会っている時の分だけで十分だと思った。次に、通学電車の中でインスタを見る代わりに音楽に集中するようにした。インスタは目が疲れるし、モバイルデータ量も消費するしで良いことないと思うようにしたら意外と簡単にできるようになった。

かなりシンプルだが、この2つを実践するだけでかなり利用時間が削られた。ストーリーは全然更新されない(ミュートしているため)からつまらないし、今まで見ていた動画や投稿を見なくても生きていけると、頭だけでなく体でわかり始めた。インスタ利用時間が減ってから、少しはネガティブな感情が減った気がする。もちろん友達の日常について疎くなっが、その分、実際に会ったときのその人への興味関心が増したような気もする。

この記事を読んでくれたあなたにもぜひ試してほしい。