SNSは、私たちの成長とともに急成長を遂げた。小学生だった頃、友人数人と掲示板の存在を知り、面白い動画を探しては見始めた。中学生に上がると、チャット機能で全国の同世代とつながった。高校生になると、スマートフォンの普及とともに一気に身近になったSNS。誰でもいつでも投稿ができるようになり、好きなことを書き込めるようになった。時代の急成長とともに生きてきた私たちだからこそ、SNSとは良い関係性を求めていかなければいけないと思う。そんな私のマイルールは、ネガティブなことを書き込まないことだ。
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スマートフォンを使うようになり、SNSがいつでも使えるようになったのは高校生の時。メッセージアプリとの線引が曖昧で、チャットや文字でやりとりできるものをすべてSNSというようになった。その中でもつぶやく形で自分のあれこれを表現できるSNSは、今でも多くの人をいろんな世界とつなぐ役割を持っている。個人的なことを匿名でつぶやけるだけあって、自由に、自分の思いを綴っている人が多い。SNSを自由に使い始めた自分も、その1人となっていた。少し嫌なことがあった日、思うことを吐き出すように指を動かす。腹が立つこと、友人との関係、ニュースなどで言われているあれこれに思うことなど、たくさんつぶやいていた。マイナスなことを書き込めば、指がとってもスムーズに動く。感情ものせているので、言葉も乱暴になれば、文字を打つスピードも速くなる。思いの丈を綴り、勢いで全世界へ発信。関係のない人に向けて、ただ自分の鬱憤を晴らした。
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当然いいねなどつくわけもなく、ただ見て見ぬふりをされては、なかったものとして右から左へ流れていく。そんなつぶやきがあったことなど、私以外誰も知らないと言わんばかりに。世間の反応はそれが正しい。私が見る側なら、同じように受け流すだろう。しかし、私には、とても印象深く残っているつぶやきだ。タイムラインにも流れてくる。自分の鬱憤を晴らしたつぶやきは、私にあのときの光景をフラッシュバックさせ、またマイナスな気持ちにさせる。負の感情を特大ブーメランで受け取った感覚だ。他の人のマイナスなつぶやきですら負の感情の豪速球を受け取るのだから、記憶に新しい自分の負の感情は自ら傷口に塩を塗っていることにほかならない。
SNSでこのような思いを経験してから、私には1つのルールができた。それが、ネガティブなことを書き込まないようにするというもの。反対に、嬉しいことや楽しいことを書き込めば、視覚から得られる情報はプラスのことばかりだ。嫌なことは嬉しいことでかき消せる。他の人に無駄な負のエネルギーを与えないようにもできる。自分が特大ブーメランを受け取らないようにもできる。自分にも、他の人にも迷惑をかけないようにできるのだから、ルールを設けて正解だったのかもしれない。
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SNSは、思っている以上に言葉から受け取るエネルギーが大きい。一方で、一人でも多くの人の言葉を受け取ろうとしてしまう、中毒性みたいなものも感じる。自分が見ているSNSの世界は、幸せなつぶやきやニュースが多いほうが好きだ。少なくとも、自分だけが見ている世界は、幸せで、ときにくだらないことで笑えるくらいのタイムラインであってほしい。ハッピーなタイムラインは、私を笑顔にしてくれる最強のツールだ。それこそ、怒っているとき、感情に任せていろいろ書き込んでしまいそうなとき、タイムラインをみればいい。自分で自分の怒りを鎮火し、笑顔になれるのだから、ネガティブなことはSNSには必要ないのだろう。これからもマイルールにしたがって、自分が幸せな世界を守っていきたい。ハッピーをこれでもか、というくらい呼び込んで、心が満たされる存在としてSNSを活用していきたいものだ。
SNSが普及して、利用している年代の中心を担う年代として、上手に向き合う方法を探し、実践していこう。そうすれば、私の幸せな世界を永久のものにできるだろうか。自分の機嫌がコントロールできる場所でもあるSNS。だからこそ作ったマイルール。普遍的な存在として、これからも続けてあり続けてほしい。