生まれてからそろそろ10年も経つということは、みんなの少しずつ大人への階段を登っていく。
私は友達らの話題で語られる「好き」の対象がキャラクターから、実在する人間へと変わっていくのでそれを肌で感じたのを今でも覚えている。
特に女の子はそれが顕著だ。

つい先日まで「ちゃお」の漫画の中で「誰が一番格好いいか?」話していたクラスのオシャレさんたちは、いつの間にか学校に持ってきては行けないアイドル雑誌を休み時間にこっそり広げて「嵐なら誰が好きか?」「小池徹平くんも格好いい」ときゃっきゃっして、男子に「センセー」と密告されている。

私はというとアイドル…芸能人への関心を抱くのが人よりも遅かった。
テレビの中の人はあくまでテレビの中の人で、どこかで実在はしてるんだけれど、すごく遠いところにいる人。自分の日常とは交わらない存在。
だから好きとか特別とか、今で言う「推したい」という感情を抱いいてなかった。

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けれど私はある日、ある意外な芸能人に一目惚れをする。
それは紅白歌合戦かなにかの歌番組だと思う。

私は、軽快な動きをしつつ、爽やかで柔らかな笑顔で歌うスーツ姿の人物に目を奪われた。
なんだかわからないけれど、その笑顔がすごく好きだと思った。ずっと見ていたいと思った。
少女漫画のヒロインになったようなときめきが全身を駆け巡る。
あれだけテレビの中の人は自分とは生きる世界だと思っていたのに、今はこのテレビと自分を遮るブラウン管が恨めしい。

「この人はなんていう歌手?」
近くにいた身内に食い入るように、聞いた。
「え?この人…?な、なんで?」
その人はジャニーズのアイドルではなく、演歌歌手の氷川きよしさんだった。

当時の「氷川きよし」はというとスーツに身を包み「演歌の貴公子」の二つ名で、おばあさま方のアイドルとしてヒット曲を連発していた。ランドセルを背負っている子供で氷川きよしさんを好き!という人は周りにはいなかった。存在は知ってるけれど「おばあちゃんが好きな歌手」という認識の子が大半だった。でもそんなのお構いなしに私は初めての芸能人への一目惚れに邁進していた。

ジャニーズ好きな子たちがするように透明で中に切り抜きを入れられる下敷きを買い、きよし(僭越ながらそう呼び捨てをしていた)の切り抜き…Myojoやポポロのようなジャニーズの雑誌には彼の写真はないので新聞のテレビ欄や、チラシを恐る恐る切り下敷きにそっと入れた。授業中にもぼんやりそれを眺めた。きよしが出演するテレビやラジオもチェックし、ステージ衣装などがデパートで展示されるとならばいった。少し前まで芸能人は別世界の実在するかも曖昧に思っていたのに、この人はこの世に実在してるんだよね!それなら生でみたいと思うようになり、テストでいい点がとれたらという条件をクリアして今はなき新宿コマ劇場にきよしのコンサートを見に行った。ほとんどが年配の女性で、親子連れは珍しく、なおかつ親ではなく子供がファンだというとびっくりされた。
席はよくはなかったけれど肉眼で見たきよしの歌声と笑顔はまだ記憶に焼き付いている。

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その後も好きな芸能人は何人か現れたけれど、最初に好きになった氷川きよしは特別な存在だった。
最初の推しは、いつだって一番星みたいに揺るがすずっと振り返れば輝いている。
だからこそ近年のきよしへの変化と、それに対する心無い声には心を痛めていていた。

かつてのスーツではなく中性的なファッションを纏い、髪を長く伸ばし、メイクをした彼を「氷川きよしオカマだった!?」などセンセーショナルに報じた。
私はエッセイストとしての顔以外に、音楽に携わる仕事をしている。それも演歌や歌謡曲がメインだ。
必然的に年配の方と関わることが多く、見なければいい週刊誌やネットニュースと違って生の声は無視できず耳に飛び込んでくる。

「最近のきよしくん、気持ち悪いからファンクラブやめたの」
「前のほうが格好よかった」
「あんな男女だめだ!気色悪い!!」

明確なカミングアウトをしていないから彼がLGBTQ当事者かは分からないし、一概に判断できないから報道や憶測の通りかはわからない。ただ分かるのはきっと彼はずっと演歌という世界で我慢をしてきて、そしてようやく本来の生きやすい姿になれたということ。

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演歌や歌謡曲の世界は古い価値観で固まっている。

歌詞の中には当然のように「しょせん女は」や「女は男の3歩後ろをついてくるもの」といったキーワードが並ぶし、年配の人々と関わって思うのが当然のように女性が料理を作り配膳し片付けをし、男性は食べるだけであったりする性別で決まった役割が当然になっていること。
柔らかな物腰の男性を「お前ホモだろー!」とからかったりすること。

演歌や歌謡曲はすきだ。
ステージ裏で忙しないながらもこぶしの効いた生歌を味わえる今の仕事も楽しくて大好きだ。けれどどうしてもそんな古い価値観は小石のようにぱっと現れて、私をつまずかせる。

私ですらそんな風に思うのだから、きよしはどれ程を無理してきたのだろうか、求められるものと本当の自分との溝に苦しんでいたのではないか…想像はつきない。けれど想像に過ぎないので真実はわからない。

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ただ演歌歌手である彼が髪を伸ばし、メイクをして歌を歌った…今は前例がないから異様だと捉えられてしまったけれどこれから演歌の世界も変わっていけばいいのにと想う。

「音楽」と言うジャンルは初音ミクのような音声ソフトの歌い手が現れたりと変化があるのに、「演歌」ばかりがずっと古い価値観を歌い続けるのでは時代に置いていかれてしまう。
女が女を想う演歌があってもいい、男が男に恋い焦がれる歌謡曲があってもいい。

2023年現在、昨年末より氷川きよしさんはリフレッシュの為に休業に入った。
私は生まれて初めて好きになった、最初の推しがまた彼が彼らしく煌めく日を待ちながら演歌と歌謡曲で浸された空間に、たたずむ。