社会人7年目を迎えた私は、「絶対にメンタルを壊すような働き方はしたくない」と心に誓っていたのだが、初めて休職という選択をすることになった。

私は「ド」がつくほどの真面目な性格だと認識している。
仕事のために毎日バランスの取れた食事をとり、日をまたぐ前に就寝。移動の電車では今日やるタスクの整理や読書で頭の準備運動。毎日の仕事で感じたことはすぐさま携帯にメモをとり、いつか必要になる時が来るだろうと書き貯めておく。
仕事が終わると、反省点を振り返り、次はどうしたらいいかをしっかりと考える。
上司や周りから褒められたい、うまくやっているように見られたくて、弱音も吐かなかった。というか、吐けなかった。物分かりの良い人を目指していた。

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ここまでド真面目に物事に打ち込む性格になったのは、家庭背景が関係しているのだろうと思う。
私のきょうだい構成は、姉と弟に挟まれた真ん中っ子。負けず嫌いの性格でもあり、小学生の頃から姉に負けたくなくてメラメラと心を燃やし、勉強や部活でいつも姉より上位を狙ってきた。そして、異性である弟へ、私では得られなかった特有の愛情が両親から向けられていることをひしひし感じながら、「頑張れば両親が見てくれる」と言う呪縛に取り憑かれて、さらに打ち込む。
「愛情」とは魔物のような、ドラッグのような、とても怖いものである。いつも両親からの愛情が欲しくて飢えていたように思う。
優等生で物分かりのいい人でありたかった自分は、周囲が言うままに選択し、行動していた。仕事選びもそうだった。

周囲でも噂のかなりハードな職場へと異動になった。休憩もろくに取れないくらい目まぐるしい日々を送り、神経を使うような業務が多い中であったが、自分なりにド真面目を発揮して要領をつかんでいった。
このまま、なんとか今の仕事をやり遂げられるような気がする、と感じていた。
しかし、一筋縄にはいかなかった。

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ある日から、夜になると涙が止まらなくなった。涙腺が崩壊し、毎日、毎日泣いた。自分のミスを切り替えられなくなった。
胸を締め付けられるような感覚も感じ始めた。もうすでに限界に近かったのだろうが、「まだ大丈夫。やり遂げなければならない仕事がある」と奮い立たせる日々を過ごす。やがて脳からドクターストップの診断が降りた。

職場につくが、頭がふわふわしてしまって、何も考えられない。
ぷつっと何かが切れる音がした。「あ、もう、私、頑張れない」
初めての感覚だった。
上司にヘルプを求め、休職することになった。

休職が決まってからは、職場への罪悪感と、自分の弱さに押し潰されそうになっていたが、ビックリするくらいに気持ちが穏やかになっていった。
しかし、ド真面目な私は休職期間中も「この休みを無駄にしてはいけない!」と殺気立ち、「休むとはなんぞや」状態。結論、この休み方が自分には合っていたのだと思う。
毎日、今日は何をするのかを考え、やりたい、行きたいと思った所には足を運び、食べたい物を食べ、やりたいことをやった。自分とも大いに向き合った。
自分自身と対話することで、見えてきたものがある。

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自分の意思で決めたことは、過酷な道だとしても不思議と光り輝いて見え、自分の芯というものが作られていくということ。
周囲の意見は材料にすぎず、調理してどのように食べるかは、自分で決めていくものであり、生きていくうえでの道筋の答えは、自分の心が全て知っているようで、それに従うかどうか、ということ。

そして、復職を決断した。
しかし、もう、仕事にしがみついたりはしない。
自分が歩んでいきたい道を自分で見つけられたという自信があるから。
そして、自分らしさと共に歩んでいきたいと、心から思うことができたから。
「ド真面目な自分」に迷惑をかけられながら、たまには「やるじゃん」とニヤりと視線を向けながら。