「正しさを他人に委ねないほうがいいですよ」アコーディオンコンクール後のレッスン。鋭い眼光とともに発せられた先生の言葉が、私の心を射抜いた。
昨秋の出来事だが、春になった今も呪文のように耳の奥に響いている。コロナ禍の気晴らしで始めた楽器。これで得られた知見が、まさかキャリアの行き詰まりを打開する鍵になるとは思ってもみなかった。

私の本業は書籍編集者。資格勉強の本を中心に実用書を手掛けている。転職経験があり、以前は専門書を作っていた。しかし、専門性の高い本をその分野の素人が編集することに違和感を覚えて転職をし、一般向けの本を作ることになった。

ところが、配属先の上司がパワハラを働いた挙句に休職、これにより部署は解体、私は異動し、結局以前と似た本を作ることになった。
企画を立てようにも、パワハラのトラウマがあって心も身体も、頭も動かない。企画が失敗したら……コロナ禍でのテレワークにより増幅した孤独感が、不安な心に追い討ちをかけた。

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そんな日々に動画投稿サイトで出会ったのがアコーディオン。以前から憧れはあったが、特殊な楽器と捉え聴いて楽しむだけだった。ところが、画面に映るチャラン・ポ・ランタンの小春さんの言葉に背中を押された。「弾きたい人は始めたらいい」。

最初はOLの手習いだった。11.5キロと想像より重い楽器に体調不良が重なり、練習もままならない日々。「お洒落な楽器・アコーディオンを習っている」だけで満足していたところもあったかもしれない。1年に1曲が精いっぱい。
習い始めて2年、コンクールの存在を知った。賞は無理でも練習に身を入れるためのカンフル剤にはなりそう。そう考え先生に相談したら、聴衆に「聴かせる」曲に仕上げるべく、選曲・編曲・奏法を徹底的に磨いていただいた。作戦と練習の甲斐あり、「初心者の部」で1位をいただいた。

「先生はすごい! 先生の言うとおりに鍛錬を積めば、より高みを目指せる」。そう思った私は次の曲や読むべき本など、先生を質問攻めにした。そして投げかけられたのが、冒頭の言葉である。

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「正しさにこだわりすぎじゃないですか? 正しさを他人に委ねないほうがいいですよ。なんの曲を弾いて、どんな本を読むか。人に解を求めるばかりで、自分で試して失敗する覚悟がないなら、辞めた方がいいと思います」。
独学でアコーディオンを極める先生から見て、私の姿勢が甘ったれに見えたのだろう。アコーディオンは、演奏人口の少なさ故に確立された指導法が他の楽器ほど広まっていない。だから奏者は、手探りで探求する姿勢が問われる。
その日から練習内容を変え、ステージがあれば恥ずかしさを捨てて出向くようになった。

思えば、アコーディオンどころか生き方を問われる言葉だった。仕事で企画がうまく出せないことを境遇のせいにしていた。新しい分野の企画も業績が上向く社内で歓迎されつつあったが、目を逸らしていた。
ただ、言い訳かもしれないが、失敗を恐れる姿勢はこれまでに間違いを許されなかったことに原因がある。「女の子だから、危ないことをしてはいけない」「女の子だから、浪人はさせられない」。女の子だから――。大人の配慮と願望により、私は「正攻法を大人から聞き出しやり過ごすこと」を覚えた。

しかしもう、私自身が大人である。失敗してもそれを被り立ち直る器は備えておきたい。手がけた本が売れなかったら……いや、どんな敏腕編集者にも売れない本はある。新たな本が売れるよう改善すれば良い。トライ・アンド・エラー。新しいことを実現するには欠かせないプロセスである。

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じつは、コンクール以前から少しずつ新たな挑戦を始めてはいた。会社初の学習参考書の企画を立て、会社から10年ぶりとなる大型市場に乗り出す企画も通した。周囲の協力もあって本が世に広まりつつあり、手ごたえを感じている。
ただしいずれの本も、慎重に慎重に、周りの顔色をうかがいながら進めたため、実現には途方もない時間がかかってしまった。

だからもう、誰かに正解を求めない。心は読者に向ける。この世の本棚に欠けている本があれば臆せず提案する。
先生は、強い意志と覚悟でアコーディオンに人生を捧げている。その先生から頂いた言葉を反芻する。私の解は私が導き出し、成功への挑戦をやめないでいよう。