「今の若い子達ってなんでもパワハラだのセクハラだの言うから、迂闊に指導もできないよね」

社会人になってから、こんな言葉を耳にする機会が多くなった。職場でも電車でもカフェでもどこでも。わたしがこの言葉に敏感に反応してしまっていただけかもしれないけど、この言葉に続くのはいつだって、職場の後輩の悪口ばかり。聞こえてきて気分がいいものではないし、自分も言われているんじゃないかって思って苦しかった。

私はこの3月で退職した。退職の理由を簡単に言うと、職場の人間関係に疲れてしまったからだった。一年半以上にわたって先輩から嫌がらせをされ続けた。消毒用のアルコールをふりかけられたり、マスク風美人と言われたり、ハサミを投げて渡されたりしたこともあった。上司にも相談していたが、上司が何かしてくれるわけでもなく、状況は何も変わらなかった。今でこそ笑って話せるけど、当時はなんのために生きているのか分からないし、働く意味も見出せず、気を抜いたら心がポキっと折れてしまいそうだった。

◎          ◎ 

だから、職場や電車などで聞こえてくる、あの言葉が苦しかった。社会人って同僚からのがらせにも耐えるのが当たり前なの?これくらい我慢しなきゃいけないの?こんなんで、いじめだの、モラハラだの言ってちゃいけないのかなって思っていた。

でも、声を上げ続けると、たくさんの人が助けてくれた。話をゆっくり聞いてくれた人、その職場やっぱりおかしいよって気付かせてくれた人、これからどうしたらいいか一緒に考えてくれた人、他の上司に相談できる環境を作ってくれた人、いろんな人がわたしを助けてくれた。

結局、いじめてきた人には訓告処分と言って、比較的軽い処分が下された。正直、なぜ訓告処分なのか理解できなかった。毎日苦しくて悲しくて泣きながら職場に行って、心が死にかけていたのに、たったの訓告処分なの?そんなのぜったいにおかしいって思った。
だけど、わたしの職場の組織はわたしを守るより、加害者を守った。きっとこのまま何事もなかったかのように、あの人や上司たちは働き続けるんだろうなと思うと、本当に悔しい。

◎          ◎ 

でもね、わたしのお姉ちゃんは、言ってくれた。そこまで声を上げ続けられたのはすごいって。苦しくても泣き寝入りして、辞めてしまう人も多いけど、声を上げて環境を変えようと、最後までがんばったのはえらかったねって。

すごくうれしかった。
まわりの人が助けてくれるまでは、自分が声を上げているのはただの甘えなのか、単純に私が打たれ弱いだけで、みんな我慢してるのかなって、そう思っていた。
でも、そうじゃなくて、おかしいことを声に出して、環境を変える努力をすること、環境に対して働きかけることはすごく大事なんだなって気付くことができた。

声に出しても何も変わらないことも、言っても無駄なこともたくさんある。でも、声に出したからこそ、助けてくれる人がいることに気が付くことができた。

◎          ◎ 

新卒として働き出した職場で人間関係の問題にぶち当たって気がいたこと。それは、わたしの言葉を信じてくれて、一緒に戦ってくれる人がどこかにいるということ。

それともうひとつ。働き方はひとつじゃないということ。安定を求めて働き続ける意味はきっとない。たった一度きりの人生。これから先、どんな未来が待っているか分からないけど、自分の足でしっかり立って、自分で切り拓いていきたいと思う。よくある常識からかけ離れていたっていい。遠回りしてもいい。命さえあれば何でもできると本気で思ったよ。
これから先、何をしようかな。どんな仕事をしようかな。考えるだけでワクワクする!