夕食後、ソファに沈んでぼんやりテレビを眺める。隣でだらける彼から見えないよう少しだけスマホを傾けながら、こっそり「趣味垢」をチェックするのが私の日課だ。

エッセイの告知をしているXの趣味垢では、彼氏や親しい友人をブロックしている。ここでは、相手の目を見て話せないような、心の奥底を吐き出しているから。

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趣味垢の存在を知ったのは、大学1年生のとき。友人にTwitterのアカウントを聞いたところ、「私アカウント4つあるんだよね」と言われた。当時の私は、リア垢しか持っておらず、4アカウントも何に使っているのか分からなかった。

彼女はさらに、「これが友だちとつながってるアカウントなんだけど、基本的にはこっちにいることの方が多いかも」などと言って、2つのアカウントをフォローさせてくれた。疑問が残るものの、彼女は幼い頃からインターネットに触れてきたと話していたから、サブアカウント的な位置づけなのだろうと深くは立ち入らなかった。

数週間後、私は彼女の趣味垢へのリプライで本名を呼んでしまった。今、なんてことを!と心臓がヒュンとした方、そしてポカンとしている方と反応は二分されるだろう。当時の私はポカンとしていたのだが、友人からやけに切実そうなDMが来て、何かとんでもないことをやらかしたのだと気づいた。

「ゴメン!このアカウント鍵かけていないし、つながってる人も知らない人だから、名前は出さないでもらいたくて……!リプライ、削除してもらってもいいかな……?」

友人はたいそう申し訳なさそうに訳を話してくれる。ややこしい運用でゴメンねと言わんばかりの汗マーク続きだ。

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それから数年たち、彼女が保持していたのは、サブアカウントなんてものでは無いことを身を持って知った。彼女はそれぞれのアカウントで、本名を互いに知らない人たちと現実とは異なるコミュニティを形成していた。また別の現実世界がそこにはあったのだ。

そして私もとあるきっかけで発信用のアカウントを作成し、エッセイを書いたり短歌を詠んだり、それらを世界中の誰かに向けて公開するようになった。勉強が得意で、図工や美術など何かを生み出すような教科の時間が1番苦痛だった私にとっては、何のためにやっているんだと考え込んでしまうような趣味である。

それでも、なんだか常に気を張ってしまう東京での暮らし、社会人という名の仮面をかぶる毎日のなかで、自分の心の奥底にあるイノセントな感情を排出できることは、私にとってデトックスの時間なのだと思う。

ほそぼそと創作活動を続けていると、時折感想や応援の言葉をいただける機会もある。顔も名前も知らない、それなのに、私がエッセイでこぼす心の奥底を知っている人。不思議な存在とのコミュニケーションが発生するたびに、ここはSNSの1アカウントなどではなく、私のもう1つの居場所だと心から思う。

現実世界でしか本名を名乗らないように、趣味垢でつながる相手だけが知る私がいる。これからも、インターネットの大海原ですれ違った奇遇な出会いを楽しみたい。