恋が終わって、ひとりになった。
次の日も、その次の日も、心臓がぎゅうっとなって苦しかった。気づけば自分の肩を両手で抱き抱えて、部屋でひとり、ヒューヒューと息をしていた。
健康が取り柄だったわたしが、喘息になった。瞬きをする度、涙を流した。ショックが大きければ人間って簡単に病気になるんだと知った。目を瞑っただけで、自分はこのまま消えてなくなってしまいそうだとさえ思った。

「みゆちゃん、助けて」の一言で、全てを分かったように接してくれた

当時のわたしは若かった。ハタチになったかならないか。未熟で、儚くて、彼が全てで、彼はわたしだった。
あの時、頼れる人がいなかったら。そう考えるだけでとても怖い。

「お願い、みゆちゃん、助けて」
声を震わせ振り絞ったその一言で、みゆちゃんは全てを分かったみたいに接してくれた。部屋中にある彼の痕跡に苦しんでいたわたしに、箱を渡してみゆちゃんが言った。
「これに全部詰めて、テープでしっかり閉じて。ベッドの下に隠すの」
わたしは言われた通りにした。
彼と眠っていたこの部屋で眠りたくないと嘆いたわたしに、ウチにおいでよとみゆちゃんは招いてくれた。
みゆちゃんのお陰で、わたしは食事をかろうじて食べられるようになり、笑えるようになった。

街を歩けば、色んな「みゆちゃん」が心をそっと撫でてくれる

あの時の失恋はショックが大きかったのだと、6年以上経った今でさえ思う。それでも、当時を思い出した時に悲しみが心を占拠しないのは、みゆちゃんがいたからだ。
一緒に銭湯で飲んだ牛乳の味や、みゆちゃんの小さなベッドでクスクスと笑っていたあの瞬間が、失恋という言葉を聞くと脳内をよぎる。それってとっても、素晴らしいことだと思う。
わたしが彼女の立場でも、同じことをしただろう。優しく抱きしめて、辛かったねと声を掛けて、そばにいてあげる。それだけで、物凄く心が救われると知っているから。

街を歩けば、色んな「みゆちゃん」がいる。
電車で具合が悪くなった時。
歩道橋でハデに転んだ時。
涙を流して夜道を歩いている時。
そんな時に手を差し伸べてくれる「みゆちゃんたち」は人の痛みを知っている。

ウェットティッシュをそっと渡して電車を降りていったギャルも。
わたしが無事に立ち上がるまで静かに見守っていた老夫婦も。
家の近くまでゆっくり付き添ってくれた大学生のお姉さんも。
この世の終わりかと思うほどの悲壮感に押し潰されそうな時だって、みゆちゃんたちは詮索する事なく、心をそっと撫でてくれる。

有難い事に、実は世の中にはそんな人たちがいっぱいなのかもしれない

有難い事に、実は世の中にはそんな人たちがいっぱいなのかもしれない。
だからもし、「みゆちゃんたち」がわたしの苦しみに気がついていなければ、思い切って声を出してみたいと思う。人を頼る勇気さえ出せば、優先的に回復することが出来るのだから。
「たすけて」
その四文字が届いた時、心に寄り添ってくれる「みゆちゃん」がきっといるはずだから。案外、意外なところにも。

わたしが心身共に健康な時には、必ず「みゆちゃん」になりたいとも思う。
すれ違ったあの子は、今日上京したての迷子かもしれない。
何度も左右を見渡すあの人は、上の戸棚に手が届かないのかもしれない。
口を結んで目をぎゅっと瞑るあの人は、外敵から逃げたいのかもしれない。
顔を上げて、耳を傾けて、綺麗な手を差し伸べる。それはわたしたちが思っているよりもうんと簡単で、うんと人を楽にする。