私は今、イギリスで働いている。東京からロンドンに引っ越してきた。
結婚でも、留学でも、ワーホリでも、駐在でもない。分かりやすくかっこつけると、自力でイギリス移住して来たキャリアウーマン。中学生頃から漠然と、海外で働いてみたいなと思っていた。まさに望む形で、海外で住む・働くという夢を叶えた。
でも、夢を叶えた先にあったのは、薔薇色の生活ではなかった。
これは私が壁を乗り越えた話ではない。壁の形や高さを見極め、向き合っているという話だ。
◎ ◎
職種は東京の時から変わらず、IT系のエンジニア。お客さんの要望を実現するようなシステムを導入する仕事だ。一度は職種を変えることも考えたけど、働く国や企業を変えることで新鮮な気持ちで取り組めるかもしれないと希望を持っていた。
考えが甘かったようだ。日本に比べて雑な上司。日本と変わらず厳しいクライアント。思ったほど英語を使わない環境。代り映えのない業務内容。職を理由に自力でイギリスに来た。ということは、裏を返すと「仕事で役に立たないなら、イギリスにはいられない」ということ。
それだけに、仕事に前向きに取り組めていないことに罪悪感がある。それなりの給料をもらい、残業もほぼなく、長期休暇もとれると条件面ではとても恵まれている。仕事内容もかつては面白いと思っていた。それなのに、今は仕事が好きとは言えない。
◎ ◎
そんな仕事へのもやもやと罪悪感をかき消すように、ロンドンでの観劇やアフタヌーンティー、数多のイギリス国内旅行やヨーロッパへの海外旅行に勤しんだ。SNSでは「海外生活楽しい」を全面に出して。観光客気分で楽しんでいたのも事実だけど、ある程度のエゴもあった。東京でひとりで平凡にではなく、ロンドンでキャリアを積みながらヨーロッパを楽しんでいる、と見せたかった。たいして会いもしない、画面の向こうの300人にアピールしようとしていた。
生活習慣を改善する努力もした。ルーティーン、時間管理、モチベーション、エネルギーなどが改善できれば仕事の活力も湧いてくるかもしれない、と。確かに効果があったけれど、根本的なもやもやの解消にはならなかった。
騙し騙し過ごして1年以上が経ち、「ロンドンに来たのは間違いだったかもしれない」と思い始めていた頃だった。転職してから一番の繁忙期が訪れた。仕事へのやりがいを見失っている私には耐え難い期間だった。無理してたくさん働くのは、身体と心がばらばらになるような感覚だった。
◎ ◎
山場だった作業を終え、ロンドンの目抜き通りであるピカデリーサーカス周辺を散歩していた。たまにはザ・ロンドンを味わおうと。フォートナム&メイソンで量り売りのチョコレートを買い、ハッチャーズで洋書の匂いを吸い込み、日が長くなってきた通りを歩く。それだけだった。それだけで十分だった。
「ロンドンを好きでいることと仕事を好きでいることは別」というのが私が一旦たどり着いた答えだ。もちろん仕事が好きなのも大事だと思うけれど、仕事が私のすべてではない。同僚と業後のパブで嗜む一杯。英語以外にも様々な言語が飛び交う地下鉄。数百年単位の歴史を刻む建物。美しい装丁の洋書が並ぶ書店。そんな日常に心が浄化される。どう考えても高すぎる物価や日本よりは心配な治安、サービスの質やインフラの弱さなど、ロンドンの至らないところも沢山あるけれど。ここでしか出会えない人がたくさんいる。ここでしかできない経験がたくさんある。
◎ ◎
どこも「住めば都」とはいうけれど、この街は私に合ってる気がする。憧れだけを抱いてやってきたけど、すっかり愛着がある。そういう感じでいいと思う。ロンドンには好きなところがたくさんあるから、仕事も頑張れる。それでもいいんじゃないか。仕事も街も満足という完璧を求めなくても。
クライアントとの折が合わなくて、パソコンを投げ出しそうな昼もある。もう辞めてやるって思いながらプログラムを何度も書き直す夜もある。それでも、喉元過ぎて熱さを忘れているうちは、それでも良いのかもしれない。
ロンドンは天気が悪いことで有名だけれど、一年を通せばびっくりするほど綺麗に晴れる日もたくさんあるのだ。