昔から辛さや苦しさを人に伝えるのが苦手な私。
どんなにしんどいことがあっても、ヘラヘラと笑いながら大したことないようにしか振る舞えない。
「近況報告でもしよう」と言って定期的に電話をしていた親友にも、しょっちゅう「もうしんどいよー」なんて笑いながら話していた。
私がヘラヘラしながら「しんどい」と言うのは最早いつものことで、本気にする人なんていなかったと思う。
でも当時、私の「しんどい」という気持ちは日を追うごとに、強く、明確に、本物に近づいていて。
スマホの向こうで、親友が何を思ったかは分からない。
「また言ってるよ」なんて呆れていたかもしれない。
でも親友は、一言、私にこう言った。

「本当にしんどくて、どうしようもなくなったら、絶対電話してね」

この一言が私の運命を変えた。

◎          ◎ 

当時、職場のとある上司との人間関係に苦しんでいた私。
無視されたり、怒鳴られたり、気分次第で態度がころころと変わる上司だった。
機嫌を損ねてしまった日には、許してもらえるまで床に膝をつけた状態で何度も何度も謝罪を繰り返した。
「めんみさんには特にあたりが強いね。理不尽だってみんな分かってるから気にしないでね」なんて周りは気遣って言ってくれていたけれど、それで収まるパワハラだったら苦労なんてしない。
不眠や動悸、頭痛や吐き気なども現れて、心身がおかしくなっていることには気づいていたが、それでも仕事を頑張りたいという一心で耐えていた。
しかし、それは上司の機嫌がMAXに悪かった時だった。

「あなたと一緒なのは嫌。あなたがいるなら会議するのやめましょう」

はっきりと言われた。
今までも厳しい言葉を浴びることはあったが、こんなにはっきりと拒絶されたのは初めてだった。
これで完全に私の心は折れてしまった。
次の日から、私は仕事に行けなくなった。

◎          ◎ 

正直、この辺りから記憶が曖昧なところがある。
仕事を休んだ私の手元には、気づけば大量の薬と、大量のお酒があった。
今考えると、本当に馬鹿なことをしたと思う。
しかし、当時の私はもはや「しんどい」どころではなく、「このしんどさを早く終わらせてしまいたい、もうどうなったっていい」という気持ちに支配されていて。
お酒で薬を流し込み、苦しくなって吐いたら、またその分お酒で薬を流し込む……を繰り返し、本格的に意識が朦朧としてきた頃。
霞んだ思考の中で、あるひとつの気持ちが浮上した。

「そうだ。親友に、連絡しないと」

「本当にしんどくて、どうしようもなくなったら電話して」という親友の言葉。
きっかけなんか何もなく、本当に突然、降ってきたかのように思い出したのだ。
正直、連絡をしたところでどうにかなるとか、助けてほしいなんて微塵も思っていなかった。
それでも、「親友との約束、守らないと」という気持ちだけが、私の身体を、震える手を自然と動かした。
親友にLINEを送った直後に意識を手放したらしい私が次に目覚めたのは、病院のベッドの上だった。

◎          ◎ 

後から聞いた話によると、私からのLINEに気づいた親友はすぐに家まで駆けつけ、救急車を呼んでくれたらしい。
当時は夏でただでさえ暑い中、窓も扉も閉め切った狭い部屋で倒れていた私は、酷い脱水症状を起こしていたようで、あと数時間発見が遅れていれば本当に危なかったと言われた。
親友の言葉が無かったら、私の身体が最後の力を振り絞ってLINEを送ることもなく、誰にも気づかれないまま人生を終えていたかもしれない。
あの時、苦しさを笑って誤魔化す私に、当たり前のように手を差し伸べる言葉をかけてくれたこと。
そして、馬鹿な行動をして迷惑をかけてしまった私の謝罪を受け入れ、今でも親友と呼べる関係を続けてくれていること。
本当に、親友には感謝の気持ちしかない。

◎          ◎ 

この一連の経験を美談にするつもりはない。
命を粗末に扱ったことも、たくさんの人に迷惑をかけてしまったことも、反省しなければならない恥ずべき行為だし、今でも精神科に通い、療養しながら自分と向き合い続けている。
二度とこんなことをしてはいけないという自戒のためにも、私は絶対に、私の身体を突き動かしてくれた親友の言葉を忘れない。
誰よりも私を諦めず、手を差し伸べてくれた親友の優しさを胸に、私はこれからも生きていきたい。