「お仕事何されてるんですか?」
この質問が私は嫌いだ。
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美容部員としての職場環境に馴染めずに休職していた頃、傷病手当金として支払われる月給の3分の2に値する金額で生活のやりくりをしていたことが1年半ほどある。
休職していたとしても、放っておけば髪は伸びる。
生活費が苦しい中、美容院代を浮かせるために、無料でカットしてくれる美容師見習いの方の元を、2ヶ月おきに転々としていた。
毎回違うサロンに行くため、その都度初めましての美容師さんに聞かれる質問があった。
「お仕事何されてるんですか?」
休職中の私は心身が本調子ではない上に、日中は何もすることがないという無い無い尽くし。
そんな痛いところを突いてくる質問に対し、必死に笑顔を取り繕いながら「美容部員です」と答えるのが精一杯だった。
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大学生までは学生という狭い社会の中で、なんとなく「すごい!」とされる肩書きが「部長」「生徒会」などとパッと頭に浮かんでいた。
それらを着実に手にすることこそが、私自身の存在価値を感じることができる快感となっていた。
しかし、果てしなく広い社会にほっぽり出された今、「すごい!」とされる肩書き(社会に出るとそれは職業)が多すぎる。
果たして私は何になりたいんだろうという疑問を解決できないほどに、自分の存在価値を感じることができなくなってしまっている今日この頃だ。
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振り返れば「すごい!」とされる肩書きを手にしたかったのは、「誰からもよく思われたい」「周囲のイメージにハマる自分でいたい」という、信念に似た呪いを自分にかけていたからに違いない。
そのように気づけたのは休職から5年以上経った時だった。
かつて営業職でトップの成績を出したかと思えばホスト狂いだったこともある、いい意味で見た目と中身のギャップが激しい友人・Mぴょんから、ある日、一撃をくらう言葉が放たれた。
「リサぴょんは見た目が真面目なのに仕事を覚えるのが苦手やったりおっちょこちょいやから、『真面目と思ってたのにこんなことも出来ない』って、周りが勝手に期待はずれと思っとるんやない?」
その一言で、私は学生時代のように社会人になってからも肩書きで真面目さを繕い、不器用な自分を無意識のうちに隠そうとしてきたこと、それが社会に出たら通用しないことに気付けたのだった。
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社会人になればどんな仕事に従事しているかで、その人の存在価値を他人が値踏みをしているように感じる。
学生時代に容易に隠すことができた不器用さが社会では容易に露呈し、「すごい!」とされる仕事の肩書きを手に入れることはおろか、「継続力のない人」「努力が足りない人」「メンタルが弱い人」といったレッテルを貼られてしまう。
周りを見渡せば「子育てをしながら保育士」や「新婚のキャビンアテンダント」など、ちゃんとした肩書きを持つ輝く人ばかりに思えて、「継続力のない人」「努力が足りない人」「メンタルが弱い人」というレッテルだらけの不器用な自分が情けなく思えてくることすらある。
だから私は「MCとエッセイストをしています」というハッタリに、自身の存在価値を見出そうとしながらなんとか生きながらえている。
結局、自分を「誰からもよく思われたい」「周囲のイメージにハマる自分でいたい」という呪いで縛り付けているのだ。
「30」という大台もそろそろ見えてきた27歳。
仕事という肩書きに縛られず、不器用な自分でも何かが自信になり、それによって自分の存在価値を感じられるその日まで。
不器用な私は何になりたいのか模索し続けるのだろう。