就職氷河期の最中、何社も不採用になり、やっと手にした内定だった。「働ける!」と素直にうれしかったし、実際「働く」はキラキラしていた。自分のできることが増える喜びに、お客さんの笑顔。ああ、これがやりがいか。そう思いながら日々楽しく仕事をしていた2年目の春。突如私は異動になった。

まだ1年しか現場を経験できないままでの本部異動。あのお客さんの笑顔、もう見れないのかな、と悲しかった。でも異動してしまったのだから仕方ない、新しい仕事も頑張ろう。その頃の私はまだキラキラした希望を持っていた。

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しかし、その光はかき消されてしまった。異動先では仕事がなかったのだ。そんなことあるか、と言われそうだが私の仕事は植物の水やり、お茶出し、コピーくらい。何か悪いことをしてしまったのかと思ったが、今後のために経験を積んでほしい、ということだった。経験なんて積めなかった。

仕事がなくなった理由はただひとつ。新しい上司が仕事を渡したがらない人だったから。なんでもひとりでやることに異常なプライドを持っている人だった。

働き方改革だ、生産性向上だと労働時間を削減していく世の中。確かに生活あってこその仕事。ワークライフバランスは大切だと思う。

仕事が少ないことを誰が不幸せだと思うだろうか。

異動してから私は毎日机に座ってぼんやり過ごし、定時になれば誰よりも早く帰った。こんなところで何をしているんだろう。あのお客さんに会いたい。後悔なのか絶望なのか重たい感情が毎日蓄積されていった。仕事が欲しいと上司にも周囲にも何度も掛け合ったが、何も変わらなかった。

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仕事が少なくていいじゃないか。
仕事をしなくて稼げるなんて楽で幸せでしょ?

上司のつけすぎた香水とタバコの混ざっためまいがするにおいも、周りからの哀れみの目も鮮明に覚えている。どんどん自分が崩れていくのがわかった。

負けず嫌いな私は、サッカー部時代の自分をよく思い出していた。顔にボールが当たってもピッチに立ち続けたのに、こんなことでへこたれるの?

でも、今私が立ってるピッチでは試合すら始まっていない。1年目に感じていたキラキラはもう見当たらなかった。

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そういえば、試合に出ているときの自分が好きだった。苦しくても声を出し続けていた自分が自分らしいと感じていた。好きな自分を取り戻すためには声を出さないとダメなんだ。そう思ったとき、自分を救おう、守ろうとしてくれている人がたくさんいることに気づいた。

つらいなら行かなくていいと言ってくれた姉。
私の好きなことを思い出させてくれた新人時代の上司。
戻ってきたらと誘ってくれた大学時代の恩師。
そして、大学院に戻ると決めたときに「あんたならそうなると思っていたよ」と快く送り出してくれた母。

差し出してもらった手をつかむかつかまないかを決めるのは自分しかいない。救いの手を夢中でつかんだ。

社会人入試で大学院に進むという決断。そんな人は周りにいなかったけど、どうでもよかった。それが私を復活させる唯一の道だと思った。

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大学院に戻った私は留学を通して、広い世界から日本を見ることができ、働き方・生き方にはいろんな選択肢があっていいと実感した。そして今、私はキャリア支援に関わる仕事をしている。

働き続けることが、必ずしも正義ではない。

何かが終わったとき、何かが始まる。終わることは怖くない。1度葬ったキャリアだったけど、そこから私の世界は広がった。あの頃よりも真っ暗になることは絶対にない。ぐちゃぐちゃになったと思っていた私のキャリアは、むしろ立派な地盤となってくれていた。

今なら言える。あの時、働くことをやめた自分、万歳。絶対にあの頃よりも、今の私は幸せだ。