新卒で入社したのは、人材系の会社だった。自分が関わることで誰かの人生が良くなるような、そんな仕事に就きたかったため、人材業界を選んだ。先輩は尊敬できる存在で環境にも恵まれていたし、自分が関わった仕事で笑顔になってくれる方がいるのが嬉しかった。

やりがいを感じていた矢先、2年目から部長・課長が変わったことで、雲行きは怪しくなっていく。

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まず、課長が心の病気になってしまい、休職。そして課長の1つ下の役職だった主任も心の病気で休職。なんだか空気が悪いぞ。いや、確実に悪い。

諸悪の根源は部長である。部長は、人格を否定するような話し方をする人だった。何もかもが的外れという訳ではないが、とにかく一言多いし、ネチネチしている。

「普通に考えたら分かるでしょ?」
「今まで何やってきたの?」
「日本語弱いんじゃない?」

部長が誰かに言う冷たい言葉たちは、オフィスにいる私たちにも届いて、心に小さな傷がついていく。真っ向から傷つけられた人は、重症だ。私たちはかすり傷くらいだろうか。でもかすり傷が治らないうちにまた増えて、どんどん痛みは増していく。

それは、もしかしたら部長が新人の頃に言われたことなのかもしれない。自分もそう言われてここまできたのだから、お前たちもこれくらい乗り越えて来いと思っているのかもしれない。それとも、ただの憂さ晴らしかもしれない。

でもそんなこと、私たちには何も関係がない。昔言われてきたからって今の私たちに言っていい権利にはならないし、少なくとも私は、そんなこと乗り越えてまで部長の立場になりたいとは思わなかった。

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そんな日々が2年ほど続くなかで、部長と折りが合わない人は異動になったり、はたまた休職したり、退職したり…様々な変化があったが、部長は、そのまま部長だった。

私は直接、分かりやすく冷たい言葉を言われるような立場ではなかったように思うが、はたから見たら割と言われている方だったらしい。確かに、会議の場では、理不尽に考えが否定されたり、部長のアイデアに納得しているのに、「納得していない顔をしている」と長々と話をされたりしていた。

でも、直接的に人格否定をされるようなことはなかったため、休職してきた方たちはもっと辛かっただろうと、自分はマシな方だと捉えていたのかもしれない。

私たちはお互いに励ましあいながら、時にグチを言ってストレス発散をしながら、なんとか耐えてきた。そんな矢先、何も悲しいことも辛いこともないのに、仕事の話をすると涙が出るようになってしまった。どうやら私は、悲しくて辛い気持ちにフタをして、なんとか仕事をしていた状態だったようだ。

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これから先の、「私の人生」について、考えてみた。私は、誰かの役に立つ仕事がしたかった。でもそれは、この会社でしか、できないことだろうか。この会社には、私の人生の時間を費やす価値があるのだろうか。

仕事を辞める決断をすることは怖い。生きるためにはお金が必要だ。しかも辞める理由が部長なんて、なんだか負けた気分だ。でも、休職や退職を余儀なくされる社員がいるにもかかわらず、部長として置き続ける、この会社にいるのはもったいない。そんなの、私の人生が可哀想だ。

私は会社を辞める決断をし、転職活動の末に違う会社で働いている。今の自分が好きだし、これからの人生をもっともっと豊かにしたいと思っている。

唯一心残りだったのは、ともに励ましあった戦友たちを置き去りにして、自分だけ逃げてしまったことだった。でも、今でもご飯に行く関係は続いており、引き続きグチはあるようだが、少しマシになってきているとのことだった。

あまりにも問題が多いので、さすがに会社としても対応し出したそうだ。自己満足かもしれないけれど、私の退職も少しは役に立っただろうか。自分より辛い人がいる、そんなことは関係なく、自分が辛いか、辛くないかで判断すればいい。逃げることは、後ろめたいことかもしれないけれど、その先にある未来が明るいのなら、いいじゃないか。逃げた先に得た勝利は、勇気の証だ。