夜。
ベッドに横になり、スマホを片手に、YouTubeのショート動画を漁る。15分ほどダイエットのbefore/afterを巡回していると、頭の奥の方からじりじりと眠気が広がってくる。

スマホの画面がぼんやりと遠くなり、とろりとした気持ちの良い眠たさが襲ってくる。目がとろんとして、「あっ眠りに落ちるかも」と思う。

しかしその次の瞬間、いきなりガバッと布団から起き上がる。「あ、今日夜薬飲んでない」と思い出したからだ。身体が勝手に動くかのように、リビングへ向かう。

机の上にある薬箱をがさがさと開く。A錠が3粒、B錠とC錠が2粒ずつ、D錠とE錠が1粒ずつ。パチンパチンと薬をシートから取り出し、水と共に口に含む。

すぐに飲み込み、何もなかったように、またベッドに戻る。D錠が睡眠導入剤であるため、今度はもっと早く眠りが私を襲ってくる。おやすみなさい。

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この10年間、精神障害の双極性障害の薬の服薬を欠かしたことは、1日たりともなかった。どんなに忙しくても、どんなに眠くても、どんなにめんどくさくても、私にとって服薬は最早日常の一部である。夜寝る前に、シートから薬を取り出す。水と共に口に含む。そして飲む。この流れは、思考や意思を越えて、最早身体が勝手に動くほどである。

双極性障害は完治せず、一生付き合っていかねばならない障害である。ならば毎夜の服薬は、この10年間もそうであったし、これから先10年も、その先も、ずっと欠かすことのない私にとっての日常なのである。

しかし、29年生きてきて、ずっと私が服薬の優等生であったかというと、そうではなかった。むしろ双極性障害を発症するまでは、服薬さぼりの常習犯であったのだ。

思えば小さい頃から様々な病気にかかってきた。小児喘息、アトピー性皮膚炎、潰瘍性大腸炎にクローン病、双極性障害、PMS、突発性難聴、メニエール病、花粉症、椎間板ヘルニア、エトセトラ、エトセトラ。
なので、物心ついた頃から今日に至るまで、毎日何かしらの薬を飲まなければいけない人生であった。しかし、幼い頃の私は薬を毎日飲むのを自主的にすることは少なかった。なぜなら医療従事者である母が、服薬を含む体調管理を完璧にやっていてくれていたからである。

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毎日服薬の時間になると、薬を用意してくれる。体調が少しでも悪くなると、仕事の合間をぬって、病院に連れて行ってくれる。医療従事者である観点と専門知識から、主治医とより深い話し合いをする。

忙しい中、私に病気に関する情報収集をしてくれる。そしてより良い治療法がないか父と二人で必死に探してくれる。

母は病弱である私に全力を尽くしてくれた。それは多分「愛」とか呼ばれるものだったのであろう。しかし愚かな私は、それに応えて真面目に自分の身体と向き合うことはなかった。むしろ「お母さんがなんでもやってくれる」と、服薬をさぼることが日常であった。

幼い頃を抜け、小学校高学年や中学生になっても、私は自分自身の身体の不調を、どこか他人事のように考えていて、真剣に闘病することはなかった。

そんな私に母や父はだんだんと怒りを募らせ、「なんでもっと真面目に向き合わないの!」「毎日服薬をちゃんとしなさい」と叱られることが多々あった。

10歳で発症した潰瘍性大腸炎の主治医に「まよさんは服薬へのコンプライアンス意識が低いですね」と言われたときは、「難しいヨコ文字でコメントされたな!なんか褒められたかも?」と、母に意味を問うてみた。すると母は悲しそうな顔をして「コンプライアンスっていうのは、『従順』って意味で、ちゃんと薬を飲むっていう意識が低いって言われたんだよ」と言った。それほどまでに私は不真面目な患者であった。

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そんな不真面目な私は、19歳で精神障害である双極性障害を発症した。ときに閉鎖精神病棟に3か月強制入院したり、計4年間激しい鬱状態で引きこもったり、警察に補導されたり。双極性障害は、これまでかかってきた様々な病気の比ではないほど、私の人生を振り回した。

双極性障害を悪化させないための2大要素の1つは、規則正しい生活。そしてもう1つは、毎日の服薬。「これは、今度こそ真面目に服薬しないと私の人生終わる」。馬鹿で愚かな私でも、自分の人生への危機感から、それくらいは分かった。

そうして1日も欠かさず真面目に服薬するようになって、10年が経つ。以前の私からすれば奇跡のような話だ。危機感が私を変えたのだった。

振り返ると、私は医療従事者の母に甘えて、自分の身体と健康に対する自主性を完璧に他人任せにしていた。自分の人生なのだから、しっかりと健康にも自分で責任を持つ。それだけ大人になれた10年であったのかもしれない。

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そして、最新医療では、「コンプライアンス(従順)」ではなく、「アドヒアランス(固執)」という言葉を使うらしい。その違いは、コンプライアンスは医療従事者から患者への一方的な指導関係であるのに対し、アドヒアランスは医療従事者と患者の相互理解を基にした関係であるとか。

患者自身が病気を理解し、主体的に治療するアドヒアランス。ふむふむ。私なかなかアドヒアランス高いんじゃない、最近?

そんなこんなでこのエッセイを書いている4/13(土)22:10。早寝早起きの私にまたとろりとした眠気が襲ってくる。そしてすくっと椅子から立ち上がる。

アドヒアランスの高くなった私の身体は、今日も勝手に薬箱へ動く。