5年近く付き合った彼との関係を、恋と呼んでいいのか、未だに分かりません。けれど、彼と恋人として付き合うなかで交わした会話が、私を変えてくれたと思うから。
だから、私はあの恋に感謝しています。
私が彼と付き合い始めたのは、私が大学2年生になる前の頃。当時、私はメニエール病の症状に悩まされていました。昼夜問わず続く目眩や耳鳴りの苦しさから、恋人になる前だった彼に、「当分、連絡はできない」と伝えたことがお付き合いの始まりでした。
人に弱みを見せることが苦手だった彼の目には、オープンに話す私が、新鮮に映ったようでした。「たとえ今は一緒に出掛けることができなくても、元気になるまでそばにいる。たとえ治らなくても、一緒に楽しめる道を探そう」。事情を知った彼は、そんなことを言ってくれました。
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私の体調を気遣いながら、彼は、私を様々なところに連れ出してくれました。
病気だけでなく、両親が過保護だったこともあって、私は外界から閉ざされた生活をしていると言って差し支えないほどでした。学生時代の半分はコロナ禍だったこともあり、私の世界は狭まってたのです。
でも、そんな中でも、彼は私を根気強く外に連れ出し続けてくれました。それは、物理的な面だけでなく、精神的な面でもでした。
家族からは酷評される私の写真を褒め、両親に禁止されていたSNSを始めようとした時には私の背中を押してくれました。彼がいなかったら、私はとっくに写真を止めていて、あらゆるSNSも開設していなかったでしょう。
そうやって私が葛藤しながらも一歩踏み出す時、彼は決まってこう言うのでした。「カゴから出たあなたを見てみたい」と。
そう言われた当時は、私はたいてい怒っていたように思います。カゴの中にいる生活だと指摘されることが、事実だからこそ嫌だったのでしょう。
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でも、実際に私がカゴから外へ出始めていくと、彼の存在もまた、カゴなのかもしれない、と私は思うようになりました。社会人になって、仕事の都合で実家に戻った彼とは遠距離恋愛になり、会うのは半年に一度程度。でも、彼の存在に遠慮して、私の行動範囲は、学生の頃から広がらないままだったのです。
でも、社会人も2年目になる頃には、私は、もっと色々な人と話して、色々な世界を見てみたいと思うようになっていました。私自身、自分がカゴの中にいることを自覚して、「カゴから出た私を見てみたい」と思うようになっていたのです。
別れを切り出すと、彼からは、反発されました。でも、私は、あなただってカゴの中にいるのに、と思っていました。彼もまた、家族の望む道を歩んでいて、だからこそ私たちは遠距離恋愛をする羽目になったのでした。
もし、彼がカゴから出てくれたら。そうすれば、本当の彼に会える気がしてならなかった私は、彼に何とか変わってほしいと思うことが増えていました。
でも、私は、少しずつ悟っていきました。カゴから出るタイミングは人それぞれで、彼のタイミングは今ではなく、私のタイミングは今なのだと。私が彼に「カゴから出ること」を望むのは、筋違いだとも思いました。彼がカゴから出てくれるのを待つのも、誰かが自分をカゴから出してくれるのを待っていてもいけないのです。
私は、足かせを外すように彼と別れました。
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カゴから出た私は、初めて自由に息ができるような感じがしました。いつも何だか苦しくて、何かに怯えていて、本音で話せていない気がしていましたが、その感覚が消えたのです。
これまでは、病気のことは彼以外には話さないようにしていましたが、苦しかった経験を、友達にも話すことができるようになりました。これまでは、心の内にとどめておいた夢を、初対面の人にも話すことができるようになりました。
私の世界は、彼と出会って広がり、彼と別れて、また広がったのだと思います。
「私はカゴの中になんていない」「カゴから出るなんて無理」と思っていた私に、「カゴから出たあなたを見てみたい」と言い続けてくれた彼に、今の私を見せられないことを少し残念にも思います。とはいえ、元のカゴの中に戻るつもりもありません。
でも、広がった世界の先で、同じようにカゴから出た彼とすれ違ったら。その時には、この恋への感謝を伝えたいと思います。