私は今人生を休憩している。人生を休憩なんて言っているが伝わりやすく簡単に言えばニートだ。私の場合はそうなってしまったのではなく、自らその道を選んだ。
高3になったばかりの私は自分なんかが通える進学先などあるのだろうか、自分なんかが働ける場所などあるのだろうか、進路に関して何が不安なのかが分からないほどに不安だった。1年もない時間で進路を決めなければならないと思っていた。
そして自分を1番苦しめていたのが、ニートにだけはならない、なってはいけないという気持ちだった。
そんな不安を小6から通院している病院の先生に相談した。「高校卒業を目指しながら進路を決めるために動くのは難しいと思う」と返ってきた。肩の荷が下りた。
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でも、私には自分のように学校という場所が合わず苦しんでいる子たちに関わり、そんな子たちの居場所になる場所で仕事がしたいという夢がある。そんな夢を叶えるために、何も決められなくても大丈夫と思いながら、少し楽になった気持ちで進学先を調べていた。
しかしそんな楽になった気持ちは調べ始めてすぐに消え、調べれば調べるほど自分には無理なんじゃないかと落ち込んだ。そして日々のストレスや先の不安から体調不良も日に日に多くなっていく。
そんな私が最終的に選んだのが1回ストップして休憩してみるという道。そんな今も体調不良がなくなることはないし、行きたいと思っていた自動車学校も今の私には到底無理、挑戦するのは今ではないと思い、考えないようにしている。
休憩すると決めたからといって不安がないわけではないし、休憩できているのかと自分で自分を疑うほどに体調やメンタルの状況が悪い時だってある。
そんなことを考えればこの道を選んだことが正解かなんて分からない。
そして今までの自分を振り返り、この道を選んで正解だったと確信できた経験などないことに気づいた。どんな道を選んだとしても、それが正解だと、やっぱり違うのかもしれないと分かることの方が少ないのではないかと思っている。
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私は不安や恐怖だという気持ちより、やってみたいという気持ちが勝てば行動に移せる性格だと自分で思っている。19年自分と付き合ってきた私だから分かる。今がその時ではないことも。
自分で選び今歩いている道は自信など持てるものではない。想像でしかないが良い意見ばかりではないのも分かっている。でも今はこんな自分がこの先に選ぶ道を正解だと思えるように充電する期間なのではないかと考えている。
実際に正解だと思えるまではとても長い道のりだろう。何年かかるのか。下手したら何十年かもしれない。
この先どんな道があり、自分はどんな道を選ぶのだろう。考え始めたら今は不安でいっぱいだ。選べるほどの選択肢が私にはないような気がする、そんなことを思ってしまう時だってある。それでもそんな自分を許し、受け入れていかなければならない。
不安になりながらもたくさん考えるために、選択肢を少しでも増やすために、そして自分のペースで選ぶために人生を休憩するという道を選んだのだから。