私は、2人の未就学児を育てるシングルマザーだ。実家のサポートを受けながら、何とか日々を生き抜いている。
子どもを持つ前の私は、限りなく自己肯定感が低かった。常に彼氏という名の依存先を見付けては、自分の心の安定を求めようとする。最初は良くても、だんだん相手の方が疲れて結局別れることになってしまう。セフレという都合の良い関係の人もたくさんいた。1人じゃ何も出来ない、そんな自分が大嫌いで仕方なかった。

それならば母親になった今、自分を大好きになれたのかというとそうでもない。長年積み重なってきた負の感情はそう簡単には消えてくれないようだ。

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まだ純粋だった学生の頃、家族や母親に対してぼんやり抱いていたイメージは、今の自分とは少し離れている。愛する旦那と子どもがいて、昼はバリバリ働きながら夜はみんなで手作りの美味しい夕食を囲む。

そんな、いわゆる「普通」の家庭を、自分も当たり前に築けると思っていた。離婚したことに関して今は後悔していないが、時々寂しくなってしまうことが、実はある。

私自身と母親の関係を振り返ってみると、良いとも悪いとも言えないような間柄である。母親は常にきっちりしていて、家事能力も高い。異様に他人の目を気にして私にも自分の価値観を押し付けてくるところはあるが、「毒親」とまではいかないだろう。

昔は完璧な母親と同じになれない自分をかなり責めたりもしたが、大人になって私たちは異なる人間だから、私は母親と同じにはなれないと気付いて少し気持ちが楽になったものだ。

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私には、私なりの母親像がある。
もちろん、仕事も家事も育児も全て完璧にこなせたら文句はないが、私はそんなタフな人間ではない。私が思い描く母親像は、「子どもの前では常に笑顔のお母さん」だ。
1人の時は、悩んだり、考え過ぎたり、時には泣いたりもする。でもその顔は、なるべく子どもたちには見せない。まだ完全に大人の言葉を理解していない年ではあるが、1番身近にいる母親の感情は伝わっているはずだ。そんな母親が、常に怒っていたり、悲しんでいたりすると、子どもたちも不安になってしまうだろう。

時には今の状況や将来のことに絶望してしまうこともある。ただ、そんなふうに思った時こそ1人の時にちょっと泣いて、後は子どもの前では何とかなる精神でいる。

それだけで、前向きな気持ちが伝わって子どもたちも安心するはずだ。
しかしまだやんちゃな時期だから当然危険なこともする。そういう時はしっかり叱って、またすぐ笑顔に戻る。決して子どもたちのことは否定しない。そこの線引きも、簡単なようでとても難しい。

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子育てには、きっと正解はない。今の育て方で本当に良いのかと悩むことは、きっと世の中の全ての母親が通る道だろう。その中で、今の最善を尽くすしかないのだ。

正直、自分には母親は向いていないと思っていた。自分のこともろくに出来ないし、多分根っからの依存体質だ。しかし、そんな私が母親になった。
まだまだ至らないところは多々あるが、もうダメだなんて言ってられない。どんなに苦しくてもしんどくても、逃げ出すことはもう出来ない。

いつか、子どもたちが成人を迎えた時、「うちの母ちゃんは良くやってくれた」なんて思ってもらえるような、そんな母親になりたい。