「人生で1番辛かったのはいつ?」と質問されると、私は「小学生時代」と即答する。
あの頃は母との関係にとても苦しんでいた。
私は小学2年生〜6年生の間、習い事に週に6日通っていた。お習字、ピアノ、水泳、公文(週に2回)、ボーイスカウト。
学校が終わるとすぐに習い事に向かい、帰宅してからはピアノの練習1時間、公文の宿題、ボーイスカウトの課題、そして学校の宿題を片付けなければならなかった。おっとりしていて勉強が好きではない自分にとっては、とても息苦しい生活だった。
放課後に時間を気にせず友達と遊んだり、好きなテレビ番組をみたり、シルバニア人形で遊んだりしたかった。
何より辛かったのが、母に叱られることだった。
「ピアノは上達してるの?お母さんの前で弾いてみなさい」「水泳の昇格テストにまた落ちたの?」「あんたは字がほんとに汚いわ」
母からそういった言葉を浴びせられ続けた私は、お習字教室の先生に「上手やね」と褒めてもらった時も「先生はきっとお世辞を言ってくれてるんだろう」と悲しくなった。
叱られる度にお風呂の中でひっそり泣いていた。
◎ ◎
小学4年生頃からそんな生活に耐えられなくなり、習い事を減らしてほしいと母にお願いした。それでも許してもらえず、その度に金切り声で怒鳴られた。1度だけ頬を叩かれた。
私はこっそりピアノの練習をサボったり、遊ぶ時間を確保するために公文の宿題プリントを隠したりするようになった。どうしても見たいテレビ番組がある時は、2階にいる母にバレないように音量を下げ、笑い声を上げないように気をつけていた。
私は悪い人間だ、と自己嫌悪した。
そして、母と会話するのが怖くなった。家の中で母の足音に怯えていた。
「母を交換してほしい」「病気になって入院したい。そうすれば優しくしてもらえる」「私は精神的虐待を受けてるんじゃないか」などと考えるようになった。
小学6年の時、見かねた父が習い事を減らすよう母を叱責し、2人は大喧嘩した。結局母が折れて、特に嫌だったピアノと水泳を辞めさせてもらえた。母は、私が父に告げ口したことに苛立って「あんた卑怯やで」と言い放った。その後、1週間は機嫌が悪かった。
◎ ◎
会社員時代に鬱病にかかった時もかなり堪えたが、あの時は恋人がいて、両親が協力的で、インターネットや本からメンタルケアの情報を探し出すことが出来た。
会社を辞めれば心が救われるというゴールも明確にわかっていた。
でも小学生の頃はどうだ。まだスマホもパソコンも扱えない、読書は苦手、相談できる友人も恋人もいない、いるのは怖い両親だけ。頼れる人がおらず、ゴールがわからないというのは、とても辛いものだった。
家の中で母親の足音にひとり怯える小さな私。
かわいそうに。かわいそうになあ。
私は元から大人しい性格だったが、この経験でさらに人の機嫌にビクビクするようになり、ネガティブな要素が育ってしまったと思っている。
「鬱病になったのは、子供時代の家庭環境が影響している」と精神科医に診断された。
26歳になった今でも、あの頃を思い出してベッドの中で涙を流すことがある。母と楽しくお喋りしてる時でも「でも、この人は昔わたしに酷いことをしたよね」「毒親だったよね」「まだ許せないよね」と頭の中から声がする。
結婚式で恨みつらみを書いた手紙を読み上げてやろうか、とも思った。
母に対しては、育ててくれて感謝しているが、尊敬はしていない。好きとは言えない。かと言って嫌いとも言えない。という感じだ。
◎ ◎
今は実家を出て、夫と2人で暮らしている。
モンスターだった母はもういない。
いるのは、遠くの実家で静かに暮らしている62歳の年老いた女性だけ。
母の足音に怯える小さな私も、もういない。
いるのは、優しい夫とぽかぽかとあたたかな暮らしをしている私だけ。
これからは、何にも怯えることはない。
のんびり生きていこう。