「いい方にいってるよ!」

亡き母の声は、ちょっとした瞬間に私によびかけてくる。

味噌汁の匂い、庭の花、鳥のさえずり……。「菖蒲が咲いたね。お風呂に入れようかね。いい方に向かうね。楽しみ」などなど……

母は、自然を楽しむ名人だった。特に、自然の恵みを受けた野菜に感謝し、食を楽しむことを大切にしていた。

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私は小学校低学年ごろまで好き嫌いの激しい子で、母を随分困らせた。農家で育ったのに、ご飯も野菜も嫌いだった。母や祖母と宿坊に泊まったときも、精進料理に見向きもしなかった。

記憶にあるのは、母が祖母に相談している困惑した顔。「パンはないって言われた」という母の低い声。子供心にも、「パンを食べたい!」と駄々をこねた自分が、母を困らせていると気づいた。

そんなある日、食卓に並んだ梅干し。目の前に、「ばあちゃんの梅干しをじいちゃんのご飯にのせたら、すごいことになるよ。元気もりもり!」と母の笑顔。母の歌うような面白い言い方に、くすっと笑ったことを覚えている。

真っ白いご飯にちょこんとのった赤い梅干しは、皺しわながらきらきら輝いていた。母の「すっぱいよ。美味しいよ」の声に励まされ、思わずパクリと一口食べた。はっきり言っておいしいと感じなかった。

「おお。小さな梅干しで、これだけたっぷりご飯がべられるなんて魔法。梅干しの魔法!」母は、自分の梅干しを小さくし、私のご飯にまたのせた。私は、思わずぱくっと口に入れていた。今度は、酸っぱい感触とご飯の甘みが口に広がり、自分で次のご飯を食べた。

「すごいね。こんなにご飯をいっぱい食べてすごい」母が心から喜んでくれることが嬉しくて、ご飯一膳をぺろりと食べ

楽しく食べることができ、お腹だけでなく心も満たされた。それから私の好き嫌いは、いつのまにかなくなっていた。小学校中学年のころは、給食のお代わりを楽しみにする子になっていた。

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私は、小学校の先生を仕事にした。母がなりたかったけど、戦争中の混乱でかなえられなかったという母の夢だった仕事だ。大学入学の時も「教育学部に」と母が勧めてくれたにもかかわらず、「まあ、大学に入ってゆっくり考える」と答え、違う学部を専攻した私。

そんな私に、母は「まあ、いい方にいくね」と励ましてくれた。

しかし、案の定、私は苦労した。小学校教諭の免許をとることは、私の学部では単位だけでは無理で、専用の試験を受けに行かなければならず、けっこう大変だった。けれど、回り道をしているうちに、母の夢ではなく、「先生になる」という気持ちが本当の自分の夢になった。

苦労した時間は、何かを掴んだりご縁をいただいたりする時となり、母の言う通りに良い方向に向かう宝物だった。教職は、自分の天職とも思えるくらい楽しくやりがいのある仕事だった。ついついクラスの子に、「いい方向に行ってるよ」と、母の口癖を言っている自分がいて何だか可笑しかった。

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あれから六十年近く経った。あれほど駄々をこねた精進料理が今では大好きで、母が食べていた野草を思い出しては、散歩を楽しんでいる。お陰さまで何でも食べる元気な人生を送らせていただいている。

定年退職をし、母が私の子育てを必死でサポートしてくれていた齢にも到達した。母のように孫育てはできてないなと振り返りつつ、息子や孫が「まっいいか。いい方にいってるね」と言うのを聞くと、母に「ありがとう」と、心の中で言っている。

息子や孫も自然が好きで、元気に育っている。美味しい食や生き方を自然体で伝えてくれた母に、しみじみと感謝の気持ちがこみ上げている。

この春から発酵教室に通い始めた。漬物や味噌づくりをしている時、母の声と温かいまなざしが蘇ってくる。「いい色だね。いい方にいってるね」と。