まだ、たまに思い出しては「あのとき別の道を選んでいたら」とくよくよしてしまう分岐点がある。この道を選んだから得られた幸せもあるのに。

繰り返されるもやもやに区切りをつけるためにも、文章にして向き合ってみようと思う。

一年半ほど前、好きな仕事から転職することを決めた。小さい頃から憧れの場所だった。つらいこともあったけれど、人には恵まれていたと思うし、業務内容も苦ではなかった。
それでも手放してしまった一番の理由は、実家から片道時間の場所での一人暮らしだ。悪いほうに想像力豊かなわたしは、家族と離れていることが怖くて仕方がなかった。コロナ禍の帰省はお互いに気を張ったし、次はいつ会えるのだろうという先の見えない不安が胸を締めつけた。地震が起こった日には、もし離れているときに家族に何かあったらどうしようと、一人の部屋でぼろぼろと泣いた。
どうやっても拭えない不安を解消したい。憧れの仕事を経験できて満足できた。たくさん悩んだ上で、地元に帰ることにした。

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家族と過ごせる道を選んだ今は、やっぱり安心する。それでも時々、あのまま続けていたらという「もしも」が顔を出す。かっこいい先輩になりたかったな。あの業務をやってみたかったな。自分のために選んだはずなのに、未練タラタラな自分が嫌になる。

わかっている。選ばなかった道を羨んでしまうのは、今に満足していないからだ。帰ってきてから自分に向いていそうだと選んだ仕事は、やってみると時間がなかなか経たなくて毎日が苦痛だ。その疲れから、職場の人とは当たり障りなく接していて、仲良くなろうと頑張ることをやめてしまった。

仕事も人間関係も一生懸命だったあの頃のわたしがキラキラして見える。気づけば過去のわたしがライバルになっていた。 

でも、あの場所に戻りたいかと自問すれば、戻らない、と即答できるのが救いだ。子供っぽいと笑われてしまうかもしれないけれど、またあんなに遠いところで暮らすなんて、もうわたしにはできない。前の職場はすでに人が入れ替わり、わたしが好きだった居場所はもうないことも、戻っても仕方ないこともわかっている。

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今のわたしには、今いる場所を心地よくすることしかできない。安心は、過去のわたしが悩んで悩んで選びとってくれた。この場所でも、心地よく働ける方法は見つかるはずだ。自分がこれまでやってきたこと、得意なことを見直すチャンスかもしれない。
それに、この道を選んだから経験できた幸せもある。家族みんなと海辺の喫茶店でモーニングを食べた穏やかな時間。地元で開催されたコンサートで浴びた素敵な音楽。大学時代の友人と久しぶりに会い、あの頃よりももっと気が合うように感じること。

ここまで文章にすることで好きだった仕事への未練に向き合ってきたけれど、きっとわたしはこれからも「もしもあの時」に惑わされてしまう。

そのたびに、どうしたら今を楽しくできるか考えよう。今わたしが過ごせている幸せな時間を思い出そう。

過去のわたしをライバルじゃなくて、楽しかった思い出として大切にできる日まで。