恋人ってどんな存在? なんてことを考える。付き合っている人がいるのに。

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私にとって、人を好きになることは難しい。難しいというのが、正しい表現からは分からないが、正直、「恋愛感情として人を好き」という状態を自分事として理解が出来ていない。
だけど、傍から見ると私は恋多き人生を歩んでいると映るだろうし、自覚がないわけでもない。

初めての”恋人”は、小学生4年生。そこから、ほぼ途切れることなく付き合っているか、付き合っているみたいな人がいる日々を過ごしている。一度付き合うと比較的長い方ではあるので、人数としては期間の割には多くない(と思う)が、なんとなく居るのが当たり前になっている。

だけど、過去から現在までを振り返って、この人じゃなければと、のめり込んで付き合った人は居なかったし、傍に居ない間は時に寂しいと言われる程に、相手には無関心だった。きっと恋人がいる自分が好きで、承認欲求や自己顕示欲の延長でアクセサリーのようなものだった。別にどの人も嫌々付き合っていたわけではないし、好きではあった、私のことを好きな君が。

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ただ一人だけ、この人のことは人自身を好きだったと思えて、今でも時々頭に浮かぶ人がいる。

彼とは付き合うことはなかったし、付き合いたいと思うことも特になかった。ただ、日々連絡を取り合って、ふざけた話も、まじめな話も、相談もできる存在だった。それが心地よくて好きだった。私たちは、およそ6年もの間ほぼ毎日LINEを続けていた。時々ご飯を一緒に食べたり、カフェに行ったりもしていた。

どちらかが付き合おうと言えば、もしかしたら付き合ってたかもしれない。彼が私のことをどう思っていたかは、今となっては分からないけど、どこか特別な関係だったように思う。

大人として交際を何度かしてみるなかで、好きな人を作ることも、交際相手を好きになることにも苦戦していた時に、恋愛指向の多様性を知った。そうすると自然と、付き合うことはなかった彼を思い出し、彼を通して自分の「好き」を振り返ると、自分の性的指向を少し整理できたりした。

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私の好きは、人として好きと恋愛として好きに上手く分割出来ない。人として好きな部分が多ければ多いほど、ポイントが好きの度合いが上がるのかもしれない。彼の好きだった部分から振り返ると、会話の中で知性を感じられる瞬間が好きだった。

私の知らない知識を持っていたり、何かについて議論が出来たり会話が一辺倒にならない語彙力を持っていたり、新しいことを学ぶことに意欲的だったりそんなところが好きだった。思考の整理を一緒に出来たり、新しい視点を与えてくれる人で、それが嬉しかった。

このような恋愛指向は、俗に「サピオロマンティック」と呼ぶらしい。今のところ人自身を好きになれたのは彼だけではあるが、過去に一人でも好きになれたことで、自分の中の恋愛の可能性を少しだけ残すことができた。私も本当は、私が好きになれる相手と恋愛がしたい。