私はもうすぐ24歳になる。
「干支2回りかぁ、思ってたより大人になった感じしないなぁ」と月並みな感想が浮かぶ。できることは増えたけど、好きなものって意外と変わってないかも。
「……あれ?もしかして今の私って、あの時の先生と同い年じゃない?」と、不意に思い出した顔があった。
……そっか、あの時の先生も、こんな感じだったのかな。
だとしたら先生、ごめんなさい。先生に謝りたいことがあります。

「先生の授業が分からないのは私だけじゃない」とホッとしたあの日

高校1年生の頃。私の学年の化学基礎を担当した新任教師、A先生がいた。
先生はとても社交的なタイプとは言えず、いつも堅苦しい空気に包まれていた。私は先生が苦手で、先生の繰り出す授業も苦手だった。

そもそも私は根っからの文系人間で、数字を見るだけでも目がチカチカするタイプだ。元素記号だとか化学式だとか、そんな話を50分間聞くだけでのぼせてプシューっとなってしまう。
加えて先生は淡々と一定の口調で話すので、授業開始から10分も経たず私は眠りに落ちるのがお決まり。お陰様で私の化学基礎の成績は笑うしかないような酷いものだった。

ある定期考査で事件は起きる。A先生が作問した化学基礎の試験の平均点が20点台を記録したのだ。
当時いた先生方の間では、定期考査は平均点が60点程度になるように作るのが定石だったそうだ。授業したことの範囲で問題を出すので、生徒に6割くらいは理解させていないと、教え方や作問に何か問題があるのではないか、という理屈だそうだ。

その基準のなかで平均20点。職員室はちょっとした騒ぎになった。
ちなみにその時の私の点数は21点。「なんだ、先生の授業がわからないの、私だけじゃなかったんだ!」と、心底ホッとしたのを覚えている。

あの事件が結局、先生方の間でどう終結したか、生徒には知らされなかった。A先生は変わらず授業を担当していたし、私の化学基礎の成績が上がることもなかった。

理系に進んだ友人は「先生の授業は聞きがいがあって面白い」と言った

その後、そのことはすっかり忘れ去られた頃。
なぜかふと思い出した私は、こんなことあったよね、と理系に進んだ友人と話していた。「まぁ、実際全然授業分かんなかったしね」と私が言うと、友人は「そんなことないよ」と力強く否定した。
友人は、「A先生の授業、すごく聞きがいがあって面白いよ!」と言った。教科書に載っていない豆知識をたくさん喋ってくれるから毎回楽しみだった、と。

その時やっと、私はあの20点事件がなぜ起きたのか分かった気がした。
あれは私を含む文系の生徒たちとA先生の間にあった、化学への情熱の差が問題だったのだ。

元々興味のあることなら覚えられても、興味のないものは覚えられないものだ。好きな歌手の歌はすぐ歌えるようになるのに、苦手な化学式は何度唱えても覚えられない。大多数を占めていた文系の生徒たちにとって、化学の知識は「苦手なもの」に分類されていたのだろう。
元々化学が好きな生徒はついていけても、苦手意識が強かったり、受験で使わないからと軽視していた生徒たちには、先生の熱は届かなかったのだ。

その事件を起こした当時の先生が、今の私と同い年。今になってやっと、先生の気持ちがなんとなく分かるようになったと思う。
きっと、純粋に化学が好きだったのだろう。
好きなものの話をするのは楽しい。

好きだから、教科書には載っていない話をついしてしまうし、授業で教えなくてもいいことをつい喋りたくなる。化学が好きで、好きなものを仕事にしたくて先生になったんじゃないかな、と。
これはあくまで私の想像であるが。

知りもせず突っぱねたあの頃。先生が今も化学を好きであってほしい

当時、職員室の片隅で、A先生はひどく落ち込んでいた。大騒ぎになってしまったから反省しているのだろう、とその背中を不憫だと思って見ていたが、反省だけではなかったかもしれない、と今は思う。

どうして分かってもらえないんだろう。
好きで化学の教師になったのに。
こんなはずじゃなかった。

先生といえど、今の私と同じ24歳。
思っていたより大人じゃないよね、24歳。
実際には先生はもっと強い人なのかもしれないけど、そんな心の内を想像せずにはいられない。

だから先生、今だからこそ謝りたい。
授業中、ずっと寝てばかりいてごめんなさい。
先生の好きなものを、その素晴らしさを、よく知りもせず突っぱねて、ごめんなさい。
あの時、もっと先生の授業に耳を傾けていたら。「化学って意外と面白いじゃん」と思えていたら。そんな生徒が1人でもいると先生に伝えられていたら、少しは報われた気持ちになれたんじゃないかな、なんて、傲慢かもしれないけれど。

好きなものを追いかけて仕事にすることの凄さも、今の私ならよく分かる。人に教える仕事の大変さも、やっと想像できるようになった。
A先生、毎日授業してくれていたこと、尊敬しています。

A先生が今どうしているのかは分からない。
今も母校で教師をしているのかな。それとも転職しちゃったかな。きっと私のことは覚えていらっしゃらないだろう。むしろこんな失礼な生徒のことなど、綺麗さっぱり忘れていてほしい。
いずれにせよ、A先生が化学を今でも大好きであって欲しい、と願ってやまない。
本当に身勝手ですみません。