私は27歳。だが、母親離れできずにいる。要因は、私にもあるし、母親にもある。

母親は、男女雇用機会均等法ができたばかりの、総合職のほぼ第1期世代で、いわゆるキャリアウーマンだ。勉強は中学校から優秀で、高校は某都立高校(その頃は学区域制で、つまり1番の高校に入ったということだ)、大学は1浪して有名私大の政治経済学部だ。大学卒業後は、大手ゼネコンに入社し、2人の子供を育てながら、産休以外では会社を休まずにずっと頑張ってきた。

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ここまで書くと、私は申し訳ない気持ちになる。私の小学校の時の将来の夢は、サラリーマン。小学生にしては夢がなさすぎるから、おそらく母親を意識したのだろう。中学校の成績は、上の下。母親はいつも「60人しかいないのに1番取れないなんて!」というようなことを言っていた。

高校受験は、母親と同じ高校を志望したが、玉砕した。学習塾には小学校5年生から通わせてもらっていた。だが、個人塾で先生の癖も強く、私には合わなかった。高校1年生の時に、その学習塾を辞める時は、母親も了承していた。

さて、大学受験だ。結論から言うと、失敗した。失敗も失敗、大失敗した。高校受験に落ちた時に、母親が「まあ大学受験があるから」と言っていたようなことを覚えている。つまり、母親は大学受験に力が入っていた。私はとある都内の大学の出身なのだが、私的には、「関東ならこの大学が第一志望」と思っていた。ただ、母方の祖父が京都大学の出身で、遺品を整理した時に見た、京都大学のバッジが綺麗だったことと、大学で平安文学を学ぼうとしていたため、京都という立地に惹かれた。超難関大学である点も「格好いいな」と思っていた。

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だが、母親の受け取り方は尋常ではなかった。今から振り返ると、「うちの子が京都大学!?」と嬉しかったのだろうし、すごく期待してくれたのだと思う。家系的に1浪までは許される風潮があり、現役の時に落ちたのは良かった。

だが、1浪して都内の大学に入学し、大学生活を楽しんでいる私を見て、母親は発狂した。そして私は、仮面浪人をさせられ、落ちて、大学を辞めて宅浪することになった。

ここからは悲しい話になる。宅浪した際に、私は追い詰められて精神に異常をきたし、双極性障害と診断された。それからは、母親も少しは温厚になり、都内の大学に復学し、無事卒業できた時はすごく喜んでくれた。また、私が就職活動を頑張り、早期内定を取った時もすごく喜んでくれた。だが、喜びとは一瞬なもので、入社して1年が過ぎた頃、双極性障害が再発し、私は休職と復職を繰り返し、約2年半で会社を退社した。

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現在は、療養中だが、母親は私がどんな状況でも「働け!」しか言わないので、距離を置こうとしている。浪人生の夏終わりの成績が振るわなかったことから、私と母親の癒着が始まり、大学生の時は体調のこともあり、毎週土曜日は母親と大学に行く日々も長かった。

だが、文章は偉大だ。あんなに「私が双極性障害になったのは母親のせいだ」と思っていたが、文章化してみると、母親の気持ちも分かる。自分自身は優秀で、我が子を「出来るはずだ!出来るはずだ!」と思い続ける。信じて疑わない。

私は、母親には出来るだけ長生きしてほしいと願っている。私が成功したところ、成功とまではいかなくとも、私が輝いているところを見るまで、永眠は待っていてほしい。

最後は、母親と私の微笑ましいエピソードで終わりたいと思う。母親は祖母よりは美人でなかったことがコンプレックスで、美男子(父)と結婚した。ゆえに、私は母親よりも美人だが、母親はそれが嬉しいようだ。

「お母さん、私、自慢の娘だよね?」