息子が2歳を過ぎたころから、そろそろ次の子どもを迎えたいね、と夫と話すようになった。絶賛イヤイヤ期真っ只中で、今までとはまた違った面で手がかかるようになった育児だけれど、限られた言葉のなかで意思疎通を図りながら、息子なりの思いや考えを受け取れることに感動さえ覚え始めたここ最近。

少しずつ心に余裕ができて、次の妊活を考えられるようになってきたのだ。

私自身、家族が増えることについては前向きに捉えている。でもその一方で、心の片隅に一抹の不安も抱えていたりする。
これまで、私はずっと1人っ子の親だった。私の愛情は100%、ただ1人の息子に注げばよくて、それを誰かに咎められることもない、悠々とした子育てだった。
それが、もし愛の送り先が2人となったらどうだ。100%あった愛情を、50対50に分けなければいけなくなる。今までその身一つですべての愛情を受け取ってきた息子からしたら、ある日突然半減してしまう非常事態だ。もし3人目、4人目となったら、さらに受け取れる愛が減ってしまう。

「子どもを産むのは親のエゴ」という言葉を聞いたことがある。私たちのエゴでこの世に生を受けた最愛の息子に、また私たちのエゴで寂しい思いをさせてしまうとしたら?私は、上手に愛情を注げるのだろうか?

……そんなふうに、少しだけ後ろ髪引かれるような思いがしてしまうのだ。

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仕事の関係もあって本格的な妊活時期を先送りにし、複雑な胸中のまま数ヶ月が過ぎたころ、実家に帰る機会があった。家族みんなで集い、その真ん中で笑顔を浮かべる私の母。

その姿から思い起こされた古い記憶が、私の不安を軽くしてくれた。

私は3人兄弟のまんなか。大学進学までの18年間、本州北方の小さな市で暮らしていた。父は東京で単身赴任、専業主婦だった母は1人で3人の子育てを担い、さらに母方の祖父母の介護までこなしていた。月に1度父は帰ってきて顔を見せてくれていたけれど、それ以外は本当に、1人ですべてをこなしていた。

思い出したのは、小学校低学年のころ、たまたま私と母が家で2人きりになったときの記憶だ。風邪でもひいて、私だけ学校を休んだ日だったのかな。居間のテーブルに肘をついて、不意に私は「お母さんは、お姉ちゃんと私と◯◯くん(弟)だったら、誰が一番好き?」と聞いた。
なぜそんなことを聞いたのか、そのときの心境は覚えていない。無意識下で積み上がった寂しさを言葉にした、当時の私なりの甘え方だったのかもしれない。

幼い娘の言葉を受けて、母は私に近づいてこう耳打ちしてくれた。
「ほんとはね、佳恵ちゃんが一番だよ。でもお姉ちゃんと◯◯くんには、内緒ね」
自分で聞いたくせに、そして同様の返答を期待していたくせに、真っ向から投げかけられた愛の言葉にくすぐったくなって、ただただ「えへへ」とにやけることしかできなかった。
自分の子どもに、順位付けなどできるはずがない。でもあの日の母の言葉には、嘘はなかった。母は私たち兄弟全員を、それぞれ一番に愛してくれているのだと、ちゃんと伝わっていたから。

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私だったら早々に音を上げてしまうほど多忙な日々だったと思う。でも私は、一度も母の涙を見たことはなかった。
思わずこっちまで伝染してしまう愉快でカラカラとした笑い声が、母のトレードマークで。叱られることもあったけれど、怒鳴ったり手をあげたりすることはない。きちんと私だけに向き合い、言葉をかけてくれた。抱きしめてくれた。きっと同じことを、私だけでなく姉や弟にもしていたのだろう。

愛情とは、算数の割り算のように均等に分けていくものでもないし、残高があって少しずつ切り崩していくものでもない。兄弟がいたとしても、1人ひとりが唯一無二の存在なのであって。母と子との間に取り交わされるのも、同じ形が他には存在しない、唯一無二の愛情なのだ。

私は、母と同じような母親でいられるかどうか、わからない。家事も育児もまだまだ成長過程。でも、「我が子を愛している」その事実に一切の濁りはなくて、子どもと一緒に母となり、全力で愛を育んでいる。
あの日の記憶を忘れずにいさえすれば、きっと息子と、将来出会うかもしれない息子の弟・妹たちとも、くすぐったくてにやけてしまうような愛情を交わし合っていけるんじゃないかって、根拠もなくそう思った。