認定こども園で働き出して今年で3年目になる。
ここまでの道のりは決して平らな道ではなく、葛藤と挫折の繰り返しで毎日「今日辞めよう。もう辞めたい」と思った時があった。
それでも続けてこられたのは、上司をはじめ友人や周りの大切な人たちが心が折れる私の手を放さずに握っていてくれたお陰だ。そして何より忘れてはいけない存在、それが「お母さん」だ。
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お母さんはどんな人かと聞かれたらまず思い浮かぶのが「アイディアマン」。
私には自閉症スペクトラム障害があり、外に出ると様々な困りごとに出会う。
出来ない、上手くいかないと愚痴をこぼすと「こうしてみたら?」とちょっとした工夫や物の言い方を考えてくれることが多く、余程のことがない限り母は出来なくていいとは言わない。
「わっちゃんは努力家やから」と母はよく口にしており、私も何かに挑戦する時に前向きになれた。
それは社会に出て働く意思を持ち続ける私にとても必要なことであり、障害があるから出来なくていいとなると出来る事も出来なくなるから紛れもなく母の愛である。
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今の職場で2年目の頃、人間関係と環境の変化が負担になって仕事でうまくいかないと感じることが増えた。
昨年度までうまく出来ていたこともメンバーが変わると途端に仕事で不具合が起こり、周りからの目も冷たく感じて、その目を気にし過ぎて今度はまた別のミスを起こす。それまで感じていた仕事への楽しさは完全に薄れ、仕事が終わって園を出ると不甲斐なさと悔しさで涙が頬を伝う。
家に帰るなりご飯も食べずに部屋に籠り大泣きしていても、母は声をかけてはこない。
自分の中で気持ちを整理して落ち着くまでは話してこない性格を知っているから、落ち着こうと必死になっているのを察して黙って見守っていた。
行きたくなくて朝に涙が止まらない日もあった。
自分で決めた道だからと母は続けなさいとも辞めていいよとも絶対言わず、聞きたいことは山ほどあるけどぐっと堪えて、泣き腫らした次の日も仕事に向かう私を送り出してくれた。
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そんな母の本音が垣間見えたある会話。
行き渋りのある園児を送り届ける保護者の方の表情がとても辛そうだったことを家で話すと「行かんでいいやん、家おったらいいよって言えたらどんだけ楽か。でもその後どうするんって考えたら頑張りなさいって言うしかないんやで」と母が漏らした。
私が学生時代に登校拒否を経験した時の気持ちもそうだろうが、今の頑張る私への本音にも聞こえた。
社会の荒波に揉まれて潰されかけながらも頑張ろうとしていることを、誰よりも心配しながら、それでも応援してくれている。
つらく厳しかった2年目を終えて迎えた3年目は、環境と仕事量の変化で負担もあったが少しずつ、以前のように仕事が楽しいと思えるようになった。
親孝行という言葉がまだ私には遠く、出来ているのかと小首を傾げてしまう。
これまで娘を最優先に動いてきた母だから自分の好きなことを自由にしてくれたらいいなと思っているし、そういう母を見ていると私は実は嬉しいのだ。
祖母が長寿だったので母も残りの人生を穏やかに楽しく過ごしてほしいと心から思う。