私は虐待を受けていたらしい。
2、3歳の頃に両親が離婚し、私と妹は母親に引き取られた。母の地元へ引っ越し、私と妹は、祖父母と母に育てられた。今思えばこれが始まりだったのかもしれない。

離婚してしばらく経ち、母は恋愛にハマっていた。週末はいろんな男性と会わされ、連れ回される日々が続いた。1人の恋人ができてからは覚えのある顔の男性としか会わなくなり安心できたかと思ったが、母の恋人が怒ると怖い人で、仲良くなれず怯えるような、とにかく苦痛な時期が中学生まで続いた。

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男性には上手に甘えられる、優しい母。妹に対しても甘やかし、のびのび育児する母。だが何故か、私にだけは厳しかった。
私は幼少期から一切ほめてもらえず生きてきた。いくらテストで100点満点を取ろうが、定期テストで学年トップの成績を残そうが、合唱コンクールでピアノの伴奏者を務めようが、ほめるどころか「調子に乗るな」と怒られた。

幼いとき、母に構ってほしくて「ママ!」と言いながら駆け寄ったが、「いい加減にして!」と突き飛ばされてしまった。20年以上経つのに未だ鮮明に覚えている。
母親の恋人と仲が悪く対立したとき、母は私ではなく恋人をかばった。私が怒鳴られてワンワン泣いているのをお構いなしに、恋人へ「ごめんね、うちの娘がごめんね」とペコペコ謝っていた。私は悪くないのにな。

中学生の頃もそうだ。厳しい祖父母から「妹がだらしないのは姉のお前のせいだ」と叱られたが、母親は無言になるだけで何もかばってくれなかった。何故か教育の失敗を長女のせいにされたのだ。

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なんとなく実家は居心地が悪くて、高校時代はバイトと貯金に励み、18歳を迎えてすぐ、高校に通いながら1人暮らしを始めた。だがそんな調子で育った私に自己肯定感なんてものは無かった。自己肯定感が無く、常に「私なんて」ばかりで生きづらさを抱えていた。

大人になっても、幼い頃の自分が「助けて」と叫んでいるような気がして。10代の後半からは精神科にも通い始めた。もう実家を離れて、精神科で治療を始めてからも10年近く経つ。私が抱えている「生きづらさ」はまだ治ったわけではない。

だが最近一歩進んだと思える出来事があった。

それは「複雑性PTSD」と「虐待サバイバー」について知ったこと。長年お世話になっているカウンセラーの方から、ほかにも診断名は付いているが、生きづらさを抱えている原因にはこの2つが当てはまると教えてもらった。
調べてみると、まさに私の症状にぴったりと当てはまった。自己肯定感が低い、対人関係に問題を抱えやすい、フラッシュバック、抑うつ、依存、自傷行為や自殺未遂など。

そして私は、長い間母から虐待されていたのだと気付く。

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「母から、家族からもう離れよう」
今まで「家族と仲良くする」のが正解だと考えていた。行きたくない感情を殺しながらも定期的に実家へ帰って、顔を見せないといけないのだと思っていたが、おそらく違う。私は母と、距離を置かねばならないのだ。

私には今、婚約者がいる。私を受け入れてくれて、認めてくれる。私の過去を知ってからは、一緒にカウンセリングにも付き添ってくれている。私が今、心穏やかに過ごせているのは、間違いなく彼のおかげだ。
楽しく笑い合える大切な仲間もいる。友達は面白いことを言って私を笑わせてくれるし、仕事仲間も楽しい人ばかりだ。

私は大切な人と自分を、大切にしたい。だから、母の過ちを受け入れたうえで、距離を置こうと思う。これから私が私を認め自分らしく、心穏やかに過ごせますように。母も過ちに気付き、成長してくれますように。

苦しく結ばれていた何かが、ほろっと優しく解けた気がした。