「もう赤ちゃんの頭見えてますよー」
下半身の部分麻酔で腰から下の感覚がない中、何となく引っ張られているのを感じながら、泣いてくれ、と願った。元気な産声が聞こえた。初めて対面した我が子は思った以上に小さくて、儚くて、今にも壊れそうだった。でも、医療器具でガチガチに固定された右手を一瞬ほどいてもらって、かすかに触れたその手や頬は確かに温かかった。思わず涙がこぼれた。母になれると、信じてよかった。普通と違うところはいろいろあるけれど、自分の身体を、そしてお腹に宿った生命の力を、信じてよかった。
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物心ついたときから、自分の心臓の機能が生まれつき正常と少し異なることを、何となく理解していた。「日常生活で特段配慮することはありませんが、将来的に妊娠・出産を考えることになったら手術が必要になります」。1年に一度だけの定期健診で何度も何度も同じセリフを聞いていたから、私が母親になるには多くの人が越える必要のないハードルがひとつ待っている、ということはもはや当たり前の前提だった。だから、今の夫と出会い、結婚を考えた時、手術を受けるのはごく自然な流れだった。術後しばらくは集中治療室で過ごすような開胸手術で、周りからは心配もされたけれど、私の中で大きな決断をしたような実感はさほどなかった。それくらい、私は潜在的に母親になることへの憧れをずっと持っていたらしい。それまであまり意識したことがなかったけれど。
手術を受ければ、当たり前に妊娠・出産ができる身体になれる。その前提は、手術が終わってしばらく経ったとき、別の検査の結果を受けて揺らいだ。私の疾患は、マルファン症候群という遺伝子上のものだということがわかった。
マルファン症候群の大きな特徴として、特に心臓の血管の組織が脆い。幼い頃からわかっていた部分的な欠陥は手術で治したけれど、そもそも心臓から血液を送り出すための血管が解離しやすいのである。全身の血液量が増える妊娠・出産において、この疾患によってもたらされるリスクは、どうもたいへん大きいらしい。
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疾患が分かったからといって、母親になることを諦めろとは誰も言わなかったし、自分でももちろんそんなつもりはなかった。妊娠期・産前産後に検査入院が必要で、分娩の方法は帝王切開一択。必ず幼いころから通っている大病院で出産すること。制限はいろいろあるけれど、心臓の様子を慎重に観察しながら出産をしている人はいると聞いた。けれど、同時にこうも言われた。
「この疾患がお子さんに遺伝する確率は50%です。でも、基本的に産んだら遺伝すると思っておいてください」
母親になりたい、自分のその思いだけで、生まれた我が子に遺伝子の疾患と言う運命を背負わせるかもしれない。これは私のエゴなのだろうか。疾患によって、我が子の人生の選択肢が想像以上に制限されたとき、母として、その子の人生に絶望せずにいられるだろうか。
子を持つ選択をすっぱりと諦めた方が、幸せなのかもしれないとも思った。
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でも、自分の母も、結婚してくれた夫も、事情を知る周りの人も、リスクについては何も言わなかった。私は子を持つ選択肢をもっている。望むのならそれを叶えればいい。私の選択を、信じてくれた。
母親になりたい。妊娠が分かったとき、どんなことがあっても、それを叶えようと思った。
幸運にも、妊娠・出産の過程でリスクと呼べるものが現れることはなかった。今のところ、子どもの心臓の機能にも特段の異常は見つかっていない。周りの友人たちが産婦人科を自由に選択したり、陣痛を経て出産に臨んだりするのを羨ましく思ったこともあるけれど、自分は自分の方法で、母親になれたことを誇りに思う。
そして、そんな自分のもとに生まれてきてくれた息子に、心から感謝している。どんな人生も、自分で描くことができるのだ。自分の思いを信じて叶える、これからもその生き様を見せ、伝えられる母親でいたいと思う。