令和になっても、まだまだ「母親像」というものは、凝り固まっていて、あらゆる固定概念がはびこっていることを知った。
母になり、飲み会に参加すれば、「お子さんは誰がみているの?」と聞かれ、育休明けに時短勤務で職場復帰すれば、「育児に専念したいんだよね?」と言われてきた。夫だったら聞かれないことを、私には聞かれること。時短勤務の中、フルタイムの時と同じ仕事量をこなし、向上心を持って働いていても、時短の間は仕事を棚上げしているんだよね、と勝手に烙印を押されること。第三者からの何気ない発言や無意識からくる決めつけに、何度心をかき乱された事だろう。
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私は30歳の時に、息子を出産した。生後6ヶ月で、我が子を保育園に預けて会社員として時短勤務で働き出した。出産前と変わらずに、マネジメント職を目指して、真摯に働いた。出産後に至っては、子どもがいても、女性だって仕事にコミットしたい人がいることを今の会社で証明したいという気持ちがより一層高まった。というよりも、それが、私にとっては当たり前のことだった。仕事が大好きだから。そんな私は、疑いもなく、走り続けていた。女性のリーダー職が増えることで、女性の社会進出のエンパワーメントにつながると信じて。
ただ、その熱意は、ある日一瞬で砕け散った。復職して1年ほど経ち、年1回開催される会社の部長との面談。面談の趣旨は、キャリアビジョンのすり合わせや社員の要望を聞くものだ。
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「仕事にやる気があるなら、フルタイムで働けばいいじゃない」
パソコンの画面越しで発言されたその一言に、私はただ苦笑いをするしかなかった。フルタイムの時と同様に、数字として分かりやすく成果を出し、これからの私のビジョンを伝えても、時短というだけで「やる気」がない認定をされるのかと、うなだれた。きっと私を鼓舞するつもりで言ったんだと受け取って、悪気はないんだと自分に言い聞かせる。
そこで、追い打ちをかけるように、「仕事を振る時にどこまでの分量を振っていいか困るんだよねぇ」と部長は丁寧に理由を述べてくれた。このご時世に、率直すぎるご意見。じゃあ、どうして私は今、フルタイムの時と同じ仕事量を振られているのか、疑問だらけだった。
たった1時間。勤務時間が短いだけで、周囲が好き勝手にフィルターをかけてくる。
されど1時間。母にとっては、夕方の1時間はゴールデンタイムであり、必要不可欠なのである。
悔しさを抱えたまま、昨年の春、私は次男を出産して育休を取得した。そして、今年の春から職場復帰をする。東京で働く私と夫の実家は、飛行機で数時間かかる遠方だ。身近に頼れる身内はいないし、手元にある子育ての負担を減らせる資源は少ない。それでもなお、2回目の復職は、フルタイムで働くことにした。
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私は、育休中に知り合った管理職やバリキャリとして働いていた同世代の母達から、時短勤務でも十分活躍できることやそういった仕組みの作り方、彼女らの野望を教えてもらったのだ。ダブルリーダー制をとる、執行役員まで登り詰めて女性の働き方を変える、などバリエーションは豊富だった。
では、私が目指すべき場所。まずはリーダーになること。
その瞬間に、時短勤務にあえて変えるのが理想だ。
時短であってもリーダーとしての仕事を捌き、新しいお手本を会社内で見せていきたい。働き方改革で、残業なしで生産性の高い働き方をよしとするのが、令和のスタイルじゃないか。
制限がある中で働く母親こそ、生産性の塊なんですよ。と、上司に次こそは伝えたい。
以前の私のように、上司の何気ないひと言で傷ついているヒマはない。今になって思う。ちゃんと怒りをぶつけるべきだった。
多様な母親像を増やすために、私は5月からまた走り続ける。これまでに人生の先輩方が、新しい女性の働き方や母親像を更新し、切り開いてくれた道を、私も担っていこう。それが1番、母親像をアップデートする近道だ。