私とって母は、産んで育ててくれた存在なのと同時に、一番身近なロールモデルでもある。生まれたときから一緒に暮らし、一番近くで見てきた大人という意味、遺伝や生活環境を共有しているがゆえに似ているという意味で、身近なロールモデルだと思っている。

正直に言うと、私は母のことを良いロールモデルだとは思えていない。母は専業主婦だが、私は専業主婦になりたいとは思えなかった。いろいろな趣味を楽しんだりはしているが、本当の意味で日々を楽しんでいるようには見えなかった。常にイライラして、常に辛そうに家事をする姿が焼き付いている。母が自身の人生を肯定できているのかどうか、幼い頃からずっと私は疑問だった。だから母と同じキャリアを選択する気にはなれなかった。

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いろいろある趣味の中で、母が一番長く続けているのが華道のお稽古である。私が幼稚園に入った頃に始めてから、もう30年近くなる。

月に1回、立派なお花がうちにやってくる。私の肩幅より一回り大きな花器に、季節に合わせたお花たちが絶妙なバランスで組み立てられ、リビングの一番目立つところに鎮座する。 

私が物心つく頃からの恒例である。子どもながら、華道の教室から楽しそうに帰ってくる母が誇らしかった。

毎回課題としてさまざまなお花に挑戦するそうで、見ているだけで飽きない。華道に興味のない父や私でも「今月は菖蒲かあ」「あれはなんていう花?」「これすごい形だねえ」くらいは自然と口から出てくる。そして、それに対して母が語ってくれる言葉が私は好きだ。

「これはこういう名前で、由来はこうなんだよ」「今回のお花を活けるのはこういうところが難しかった」「このお花は香りがいいから嗅いでみて」。そんな風に、教室で見聞きしたことを話してくれる。

たまに、小さな蕾や細かい毛がたくさん付いたお花がやってくることがある。蕾や毛が「そこらじゅうに散らばって掃除が大変だった」なんて話も面白い。華道について話す母は、生き生きしている。

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私と母はあまり会話をしない。けんかも滅多にしないし、一緒に暮らすことは苦痛ではないものの、会話に心理的な壁を感じる。母娘とはいえ、何を話したらいいか分からない。なんでもない雑談ほど難しい。

母も私も口数が少ない。特に私は世間話が苦手で、付き合いの浅い人だったりすると会話が途切れ、沈黙が続くことがしょっちゅうある。母は私よりはうまくやっているのだろうが、それでも社交的な性格では決してない。

お互いに、自分の考えや気持ちをうまく伝えられない。私が大人になってそれぞれの生活ができ、お互いに気を遣うようになってなおさら、何気ない会話は少なくなっていった。

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それに、今までの人生で学校や仕事や進路のことで、母に気の利いた助言相談をしてもらった覚えがない。そのくせ私のやることにいちいち文句だけは言う。

親としての期待や責任からくるものなのだろうが、私の選択や行動に対して、必ず1つは批判や粗探しをされた。テストで98点を取ったら「あと2点惜しかったね」。ケアレスミスで間違えただけと答えたら「ちゃんと見直ししなかったの」。100点を取ったら取ったで「次も100点取れるように頑張らなくちゃね」。褒められた覚えなんて一度もない。大人になる頃には、なにかを相談するのはもちろん、自分のことを話すのさえ、あまり好きではなくなってしまった。

ただ、自分のことを話すのが好きではなくても、母のことは好きだし、尊敬している。1人の人間として、母のことを知りたいと思う。そんな私にとって、華道について母から話を聞く時間は、ますますかけがえのないものになっていった。

私たちは、目の前に活けられたお花を通して、香りや色、形、触り心地など、五感をともにする。「掃除が大変」という体験を私はしていないけれど、大変さの元凶である蕾や毛を目の前にして、臨場感を持って追体験できる。

親としての忠告でも情報共有でもなく、母がその人自身として、感じたことや考えたことを聞かせてもらえるのが楽しかった。子ども扱いではなく、対等な立場で共有してくれるのが嬉しかった。

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私は母のことを反面教師としてロールモデルにしている。でも、母が華道に取り組んできた姿だけは確実に、今の私の憧れだ。そしてそれはきっと、私がこうして文章を書くようになったことに少なからず影響している。

やることなすこと否定され続けてきたこともあり、母と一緒に華道をやろうとか、母から教えてもらおうという気は一切起きなかった。でも、母が心を込めて花を活けるのを見て、人の心に彩りを添えるものを作るのっていいな、と思った。

もし母が家事や主婦業について楽しそうに話していたら、私も主婦を目指していたかもしれない。私を子ども扱いせず、母が大人として楽しんでいることをもっと共有してくれたら、大人になることをもっと前向きで楽しく捉えられていたかもしれない。母が私のことをもう少し肯定してくれていたら。もっと素直に自分のことを話せたら。相談相手として頼れる母だったら。

たらればを挙げればキリがないが、それでも母の姿を見ていて、私は人生の軸になるようなものを見つけた。それは、母が華道で家族の心を彩ってくれたように、私も人の心を支える仕事がしたいということ。そして私が一番それを実現できそうなのは、文章だということ。それは母が母らしく、やりたいことをやっていてくれたから、見つけられたものだ。

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未だ結婚や子育てのビジョンも持てず、親離れもきちんとできていない私だ。でもだからこそ、親の気持ちが分からない子ども目線のうちに言っておきたい。私はお母さんの子どもに生まれて良かった。