役立たず!こんな子私の子じゃない。
母の呪いの言葉は、今も私の中で生き続けている。
私は母に無条件には愛されなかった。
母が教えてくれたピアノ。母が思っている通りに弾けなかったら本で叩かれた。とっさによけて顔にあざができた時は、家族には言うなと、強く肩を掴まれ念押しされた。
テストの点数が85点を下回ると、叩き起こされ、夜中まで泣きながら勉強させられた。
私立の大学に合格した時は、こんなところに受かって……とあきれた声で言われた。
母にとって私は道具であった。ママ友たちの間でバカにされないため、周りからちやほやされるための道具。私は母の飾りだった。
よく頑張っていますよと学校の先生が言う。こんなに賞をもらって自慢の娘さんですねと周りが言う。そんな時、母は「そんなことないですよ」と謙遜しつつ、満足そうに笑みを浮かべる。そして、その笑みを見た私は安堵する。
私は、気づけば条件と結果ばかりを追い求めていた。周りに認められることは、母に認められることを意味する。私は結果を残さなければならない。結果を残したら、母は怒らない。母は私に笑顔を向ける。母は私を愛してくれる。私はそうやって30年育ってきた。
◎ ◎
そしてそんな私も30歳で結婚した。
ここでも私は条件や結果を求めた。母が言った「男の子がよかった」「うちは姉妹だから夏目家が途絶える」「あんたが先天性の病気だったから3人目を諦めた」がずっと頭の中から離れなかった。
だから、私は夏目を継げる人を探した。私の夫は婿養子。私の実家に夫を連れてきて、私の家族と夫と共に生活するようにした。
母が満足するように。
おおらかでマイペースな夫は、ほとんど怒ることなく、淡々と私と家族と共に生活した。
そして1年が経った時、私は不安を覚えた。
夫が私に対してそっけないような気がする。部屋に行っても目を合わせようとしない。弁当を作っても何も言ってこない。夫の仕事が休みでも、1人でどこかに行って私と時間を合わせようともしない。
あまりにも淡々と生活するドライな夫に、一緒になってよかったのかな?この選択が正しかったのかな?そうポツリと言った。
すると夫は家出した。静かに怒って出て行った。
◎ ◎
夫は義両親に気を遣わせないように、嫌なことも我慢して生活していた。ドライなのは壁が薄い我が家の構造を知って、あまり大きな声で話さないようにしたかっただけだったそうだ。それなのに、私は夫と一緒になったことがよかったのかわからなくなっていた。
私は怖かったのだ。必要とされていないのではないか。私は夫の役に立てていないからそっけない態度を取られているのではないかと。
私の中では役に立たなければ愛されない。
私は無条件に愛されたことがないから、条件ばかりを探してしまう。条件がなければ私は愛されない。だから、夫に対しても、ドライな対応に不安を抱いてしまった。
テストで良い点数を取ることや、いい仕事に就くことで愛をもらっていた私は、夫に何をしたら愛をもらえるのかわからず不安になっていた。
家出をした夫は帰ってきて、少し話をした。
「わか、お母さんからは無条件に愛されなかったかもしれない。でも、俺は無条件でわかを愛してる」
夫は私の手を握りながら言った。涙が流れた。
◎ ◎
正直、今はまだ実感がわかない。目に見えない「愛」を感じることは難しい。
ただ、愛に条件がないこと、無償の愛が存在することを知った。そして、無条件に愛してくれる人がそばにいてくれることを知った。
今、私は母に気を遣っている。
そして母も私に気を遣っている。
条件や結果ばかりを気にしていた私と母。関係が良好とは言えない。
でも、30年でようやく少しだけ別の見方ができるようになった。
お互い歩み寄ろうとしたら、今からでも、無条件で私と母は愛し合うことができるかもしれないと。