山形県に住む祖母がいつも作ってくれる煮物がある。

それは"芋麩"と親戚内で呼ばれるおそらくオリジナルの料理で、じゃがいもと車麩を砂糖と醤油、みりん等で味付けしたものだ。思い返せば小学校1年生の頃あたりから祖母の作る手料理の中で一番好きで、いつも帰省すると「芋麩つくって」と、はにかみながらせがんでいた。

ホクホクした柔らかくてあっついじゃがいもと、甘じょっぱくて油の染み込んだお麩が口の中でとろける。私の中で食べ順が決まっており、じゃがいもよりもお麩の方がなんだか特別感を感じるからじゃがいもを先に食べ、お麩は未来の自分のために残しておく。
きっとみんな自分なりの食事ルールというか、決めごとのようなものは他に言わないだけであるのだろう。それをきっちり果たせた時の快感ときたら……。ゾクゾクする。

レシピを義理の母親である祖母から教わって、母が自宅で再現してくれたことがある。
母には悪いけれど、やっぱりなんだかちょっと違った。具体的に何が違うのかと言われたら言葉では上手く表せないのだけれど、「私が食べたいのは祖母のつくった芋麩なんだな」とその時思った。

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私は今まで人生負け戦ばかりで、あまり祖母にいい報告をできたことがない。
それでも、行くと玄関からトコトコと歩いて車の近くまで来て出迎えてくれる。「みゆうさ〜ん、元気しったか?(元気してた?)」と無償の愛でいつもハグをしてくれる。年々小さくなっていく祖母の身体を抱きしめて、「元気だよ、久しぶり!」と口では言いながら、「こんな孫でごめんね」と心の中で謝る。
ドラえもんののび太とおばあちゃんの話を思い浮かべてほしい。あれほど大層なものではないかもしれないけれど、自分をポンコツメタ認知するとあんな感じの光景かなぁと思う。

最近芋麩を食べたのは、2023年の9月にメンタルの調子を大幅に崩し、1週間帰省した時だ。「これ食べて元気出してな」「みゆうさんこれ大好きだから朝から頑張って作ったんだよ」と言いながら振る舞ってくれた。芋麩は蛍光灯の下でテカテカ、ヌラヌラと食べてほしそうに光っていた。
私は精神的に調子が悪くなると、舌が敏感になってそんなにしょっぱくないはずのものが異常にしょっぱく感じたりする。きっとストレスで味覚がやられておかしくなるのだろう。
例によって、食べ順を守りながら食べた。その時に食べた芋麩は、いつもよりもしょっぱかった。でもいつもよりも身に染みた。

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台所で2人で話す時間があった。その時病気の影響で体に痛みがあって、それに加えて精神的にも参っていたからそれらの苦しいことを全て話した。祖母ももやもや病という病気を持っている。

「人生、ケ・セラ・セラだよ」「あんまり自分のこと責めないで。生きてるだけで、それだけでいいんだから」「病気で痛くても、目や耳が自由なだけでありがたいんだよ。いつかいい日が来るよ」と言ってくれて、その言葉で涙腺が緩んでしまった。私の頬を伝う涙を見た祖母も泣いてしまって、2人で抱き合って泣いた。

暑い日だった。夜だから蝉も寝ていたのか鳴いていなかった。他の親戚がお茶の間でテレビを見ながらゆったりしている間、私たちの間で流れる時間はなんだかとても特別で、尊いもののように感じた。
祖母のかけてくれた言葉としょっぱい芋麩をたまにふと思い出しながら、今日も生きている。