みんなそんなものなのかもしれないが、私は母に抱きしめられたことが1回しかない。母はクールな性格で、私だけでなく父や、妹に対してもスキンシップをしなかった。そんな母に抱きしめられたのは、私が小学2年生の時だった。

よく覚えている。私は宿題をやりなさいと言われたのに自分が得意な漢字のドリルだけやって、算数はやらないで遊んでいた。しばらくしてから部屋に入ってきた母に、算数のドリルを見られて解いていないことがバレ、こっぴどく叱られた。

「1時間も経ってるのに何もしてないなんてありえない!」と言われたので、漢字ドリルを見せて、これに時間がかかって算数までできなかったと嘘をついた。
すると母は、

「そんな……ちゃんとやってたのね。あんなにひどく叱ってごめんね」

と私を抱きしめてくれた。

でも私は、実際には10分くらいで漢字ドリルを解き終わってあとは遊んでいたので、抱きしめられることにものすごい罪悪感を覚えた。未だにそのことは母には話していない。今となっては笑って許してくれると思うが、当時は眠れないくらい気に病んでいた。

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母は私が「普通でない」ことにとても厳しかった。

「ミニスカートなんて履いちゃダメ。いやらしいわ」
「なんで他の子ができることができないの?」
「学校が嫌? 嫌でも行きなさい。不登校なんて許しません」

今ならわかる。普通の子なんて存在しない。みんなそれぞれに違ったところがあって、言うなればそれが「普通」なのだ。母が作った「普通」の型に無理やり押し込められた私は、どんなに辛いことがあっても誰にも言わずに耐えるという癖がついてしまった。

母は私のことをなんだと思っているのだろう。私という個体ではなく自分の分身か何かのように思っているんじゃないか?と思った。

例えば私が、学校の先生から生活態度を注意されたとする。母は必ずと言っていいほど「お母さんのせいだっていうのね!」と自分の責任にした。また、私が母から1番言われた言葉は「なんで私の言うことが聞けないの?」であった。そりゃあ、自分の分身だと思ってたら思い通りにならないのが許せないよねと思った。

何だか母は、私を通して自分を呪っているように見えた。母が私を傷つける言葉を放つとき、彼女自身が傷ついているのではないかと思った。

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大人になるにつれて、私と母は喧嘩をすることが多くなった。そのため、高校に入ったくらいから、私は早く家を出て自立したいと思うようになる。

広島に住んでいた私が東京の大学に受かったとき、やっと一人暮らしができると楽しみにしていた。しかし、父が転勤を願いを出してまで家族みんなで東京に移り住むこととなり、結局、結婚するまで私は家を出ることができなかった。

家を出てから、一挙手一投足すべてに小言を言われない生活がいかに楽しいものかと思った。私は母のために存在している人形じゃないと思えて、すごく自由になったと感じた。

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しかし、ふとしたことで私は、大きな勘違いをしていたことを知った。28歳の私は、結婚式のビデオで使うための写真を探していた。幼少期の写真を生い立ちビデオに使う予定だった。

アルバムのなかのある写真を見て私は仰天した。母が病院のベッドで寝ている写真だった。母がずっと健康体で生きて来たと思い込んでいた私は驚いて、そのときそばにいた父に聞いた。

「お母さん何か病気だったの?」
「ああ、これはなぁ……。阪神淡路大震災のあとの写真だよ。お母さんはな、赤ちゃんだったお前に覆い被さって、その上にタンスが降って来てな。大怪我したんだ。お前には言わないようにと言われてたんだが……」

私は赤ちゃんの頃神戸に住んでいたのだ。それも、1番被害が大きかった灘区に。それから私は母に、「なんで守ってくれたの?」と聞いた。母は、たった一言「お母さんだから」と言った。

その時やっとわかったのだ。母は私を分身だと思っていない。自分自身よりずっとずっと大切に思っているのだと。それくらい、母の「お母さんだから」には説得力があった。

お母さんだって人間なのに。怪我をするのに。でも、そんなことはお母さんにとってはどうでもよかったのだ。それくらいに、全力で愛されてきたんだと私はようやく気づいた。

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口うるさくて、何千回と叱られた。けれども、お母さんも必死だったのだ。母が私を産んだ歳に近づいて来てようやくわかる。自分がいなければ死んでしまう存在を抱えることの大変さ。お母さんも、必死だったこと。

決して、ずっと仲良しの親子ではなかった。けれども、私が幸せな時、誰よりも喜んでくれて、私が泣いていたら誰より悲しむのが当たり前だった。当たり前すぎて気づいていなかったけど、母は誰よりも近くで私を見ていてくれた。それはきっと今も。

普段は絶対にそんなことは言わない。でも、今度会ったら言ってみたい。お母さん大好きだよって。