今日、ある全国紙の新聞社に泣きながら内定辞退の連絡をした。だから、これも泣きながら書いている。

来年の春から、私は違う業界に進む。

朗らかな人事の方も、あたたかくて面白い会社の雰囲気も、全部大好きだった。

その新聞社は、私が納得のいく進路を決めるまで応援してくださった、唯一の企業だ。高校三年生のとき、コロナ禍真っ只中の受験生だった私は、その新聞社が運営するウェブメディアの記者の方から取材を受けた。私が将来の夢を語ると、「頑張ってくださいね」と励ましてくださった。今でも鮮明に思い出せる。

併願企業から内定をいただいて、たくさん悩んで迷って泣いて泣いて、決断した未来。私の人生は、これからどうなるのかわからない。

だから書きたい、その新聞社のことを。

◎          ◎ 

選考の中で言語化できた、私のモヤモヤ。それは、「就活コーデ」について。

その新聞社はそれを打破するべく、「きがえよう就活」プロジェクトに参加している。就活の年間を通して、他企業ではあまり見かけないものだった。「好きな服装で来てください」「服装は自由です」と、方針として表明してくれることが、私にはとてもありがたかった。性別や容姿で判断されるのではなく、「人間」として見てくれることが嬉しかったのだ。

私はスーツが好きだ。とりわけ、パンツスーツが好きだ。背筋がしゃんと伸びるから。

だけど、併願業界の銀行やら損保やらでは、なんだかんだでストッキングにスカートを履いて面接に行く日々だった。媚びてるみたいでちょっと嫌だった。嫌だったけど、そんな甘ったれたこと言ってられないから目を瞑る。御社の内定がかかっているのだ。

女子就活生が必ず一度は耳にする言葉は、「女は面接でスカートを履け、足を出せ」だと思う。理由は、「オジ受けするから」らしい。スカートが就活に有利になるなんて、心底しょうもないと思う。

最近、女子の服装で判断するような企業は減ってきたそうだ。パンツスタイルで面接と言う名の戦場に出向く女の子たちも増えている。それでも、そんなちゃんちゃらおかしいSNSや口伝えのまやかしを信じている女の子が一定数いるのも確かだ。

まやかしであってほしい、と思う。でもそれだけ、世間に呪いが染み付いているのだとも思うのだ。

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人はいつでも、外見で判断される。女の子も男の子も、みんなそうだ。いや、「いつでも」は言い過ぎか。しかし、ポイントのひとつに、学歴フィルターならぬ「外見フィルター」があるのは仕方がないことなのかもしれない。だけど少し、立ち止まって考えてみたい。

その新聞社の面接には、すべてパンツスタイルで行った。「服装は見られていない」という当たり前な前提が明文化されているだけで、背負っていた「なにか」は格段に軽くなった。黒のトレンチコート(そう、就活期のトレンチはベージュ、という決まり文句もモヤるのだ)が、しっかりプレスされたパンツスーツによく映えた。

みんな、好きな服を着ればいい。パンツだってスカートだって、いちいちこうやって取り沙汰されずに、「ああそうなんですね」って流される世の中であってほしい。

最近、「多様性の尊重」いう言葉の捉え方が歪みつつある気がする。パンツスタイルで就活をする女の子を励ますために、「スカートが好きな子」が疎外される社会にはなってほしくない。例えば、私はセンチヒールのリクルートパンプスが好きだけど、「就活にパンプスは廃止してほしい」という声もあるようだ。

私はやっぱり、多様性が当たり前な未来になって、そもそも「多様性」という言葉が存在しない社会になってほしい。これは、その新聞社の最終面接でも言った言葉だ。それを、受け入れてくれた企業だった。

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就活しんどかったけど、こうして素敵な企業や社会人に出会えたのは一生の宝物だし、私の誇りだ。就活しんどかったから、その何倍も、これからの社会人生活が幸せだったらいいな、と心から願う。

自分の進む道の先に不安がないと言えば嘘になる。この先何度も、選ばなかった方の選択肢を思い出しては、後ろを振り向くのかもしれない。勇気を振り絞って大きな決断をしたけれど、行き着く先には何もないのかもしれない。

それでも、だからこそ。「転職」ではなく「天職」と思える瞬間に、何度だって立ち会いたい。だから、私はこれからも、パンツスタイルで背筋を伸ばして歩くし、スカートを履きたい日にはスカートを履くのだ、これからも。

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