私は有名になりたい。
どうしても、有名になりたい。

田舎で生まれ、両親は7歳のときに離婚したが、祖父母の協力もあり大好きなクラシックバレエは12年間続けられた。
地元ではそこそこの高校に受かり、大きな反抗期はあったものの、そこそこの私大文系に合格して上京した。
大好きなエンタメのために授業をサボりながらも運良くそこそこの大手企業に就職。
職場の同期と入社早々に恋に落ちて社会人3年目で結婚。
私の家柄、頭脳、容姿から考えて、最大限うまくいっている人生だと我ながら思う。
片親でも習い事や勉強をさせてくれた家族、好きなことに一緒に熱中できる友人、私を思ってくれる心優しい夫がいる。
これ以上何を望むのかと、世間から、家族から、ご先祖から常に耳元でささやかれている気分だ。

◎          ◎ 

だが、どうしても、有名になりたい。
私の考えていることを世に放出したい。
それをあわよくば誰かに拾ってほしい。
作家になりたい。

こう考えるのは、恥ずかしいことなのだろうか。

なぜ私はこんなにも何かを諦められないのか。
私は幸せじゃないのか?
いや、幸せである。
でも、何かをずっと求めているような、あるときを懐かしんで戻りたいような感覚がたまに私を襲うのだ。

◎          ◎ 

いつに戻りたいか。
私が人生で心底幸せを感じたのはいつだったか振り返ってみた。

間違いなく、舞台上でバレエを踊って拍手をもらっていたあの瞬間だ。
照明の眩しさ、リノリウム(舞台の床)の独特な固さや柔らかさ、身体に塗りたくっているファンデーションのにおい、口紅のパサつき、じわっと広がる汗、チクチクとする衣装、強く引っ張られている前髪、身体が自然と動いてしまう音楽、その全てに私は生かされていた。
その全てが私の魂を震わせていた。
私にとっての酸素だった。
舞台で踊っているとき、いつも厳しい先生の視線や自分の生い立ち、学校の嫌な奴のことなんて微塵も考えていなかった。
ジャムおじさんに新しい頭をもらったアンパンマンのように、私は無敵だったのだ。

表現したことに対する他者からの拍手は、何にも代え難い快感であった。
残念ながらこの容姿なので、バレリーナにはなれなかったが、表現して誰かに拍手をもらいたいのだ。今も。

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ただ、舞台で踊っていたときと同じくらい注目や拍手を浴びた日がある。

結婚式だ。

幸せだった。
家族や友人など、自分の人生を語るには欠かせない人たちが全員いて、私を祝福してくれている。
さらに、プロのヘアメイクさんが魔法をかけてくれる。
友人に囲まれて嬉しそうに笑う夫の姿を間近で見ると自然と私の顔もほころぶ。
まるで宙に浮いているかのような感覚の1日だった。

もしかしたら、優越感もあったかもしれない。
やっと家族からの期待に応えられた。
周りと比べたらトップバッターくらいの早さの25歳で結婚した。
どうだ!欲と毒にまみれた私の人生が、「普通の幸せ」を手に入れたぞ!

とにかく幸せで、自分のこれまでを誇れるような祝福の日だった。

◎          ◎ 

では、踊りという表現でもらう拍手と結婚式でもらう拍手、どちらが幸せだったのか。
頭の中で大勢の記者たちが意地悪な質問を投げかけてくる。

無言の圧力を世間から感じるのは気のせいだろうか。
有名になるというカードを手にいれるなら、普通というカードは捨てなければなりません、みたいな。
はたして、本当に?
持てるカードの上限数は決まっているのか?

私はほしいカードは全て手に入れていこうと思う。

なぜなら、表現で拍手を受ける幸せと結婚の幸せのどちらも私の大切な幸せだから。

幸せと幸せは比べなくていいんです。
幸せを増やすことに罪悪感を持たなくていいんです。
私が証明して見せますから。

そう頭の中で私は記者達に答える。
きっと明日の朝刊は私の発言で持ちきりだ。

どうか、私が作家というカードを手に入れたときには、祝福してほしい。
きっと私は、普通の幸せというカードも持ち続けているはずだ。