某バディもの刑事ドラマ「エントリーシート」という話があった。就活をしている女性の遺体が見つかり、面接に行っていた会社の社員が逮捕されるというあらすじだ。

さて、何故「就活」がテーマのエッセイで、ミステリードラマの話をしているのかというと…動機だ。なぜ殺人を犯してしまったか…その理由が「就活のときについた嘘がバレることを恐れた」ということだった。
その会社は社長がボランティアに力を入れているから、犯人は学生時代にボランティアをしていたと嘘をついて入社した、しかしそれが嘘だと彼女が知っていたからバラされるのを恐れて殺害したというものだ。

とんでもない動機だが、共感するところもある。
だって就活というのは、いわば騙し合いのようなものというのは事実だ。

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「服装自由」と明記してあっても、Tシャツで説明会に行く人はいない。
スーツに、パンプス、ナチュラルメイクに、髪は1本に結び、目に掛かりそうな前髪はピンで止め、黒いカバンを肩からかける、全員が全員そのスタイルという型にハマらなくてはいけない。

そうやって外装から「就活生」になるのは最低の及第点に過ぎず、その上でいかに自分というものを偽り、その会社に合う型にハマったかのアピールをできるかの…いわばバトルだ。小学生がするカードゲームのように、いかに「強く」「レア」になれるかめられる。

嘘がつけないタイプの私は就活は連敗続きだった。
そもそも「何故全員が全員同じ格好をして、同じような言葉で志望理由をるのだろう」と疑問に抱いていたからちょっと斜に構えていたかもしれない。

合同説明会の会場、東京ビッグサイトや幕張メッセに向かっていく中で、なんだか不気味さを覚えていた。ビッグサイトに至っては、高校生のからコミックマーケットの開催地として足を運ぶことが多かった地だ。コミケの時は、ロリータファッションの人や、キャリーバッグを引くコスプレイヤー、美少女キャラのプリントされたTシャツを着たいかにもなヲタク、と個性がばちばちに出ているのに対して、今私はまるでアリの大群のような、黒い集団の一部になっている。

着たくて着てるのならいいけれど、着なくちゃいけないから着ている…のがちゃんちゃらおかしくなってきた。

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日本はそもそも「個性」というものを塗りつぶしがちな国だ。小学生くらいからあれやこれやと型にはめてくる。

ジェンダーにおいては男の子は黒のランドセル、女の子は赤のランドセルだとか、発達障がいのある子供の苦手なことやできないことが無視されていたり。
今でこそ多様性という言葉が謳われつつあるが、根本的なものは解決されていない。普通ではないことが、よくない・マイナスなものにされてしまっていて、それが尊重されていない。

学校という小さな社会にはじまり、中学高校の校則、そして「就活」と、マナーや礼儀という点においてはもちろん少しの縛りも必要ではあるが、それと「個性」を殺すことはイコールであってはならないと思う。

同じようなスーツ、同じような髪型、同じような靴、同じような志望動機でなにがわかるのか。なにもわからないだろう。私が面接官だとしたらなんの印象にも残らない、代わる代わる現れる就活生をベルトコンベアーに流れてくる量産品のようにしか感じないだろう。

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私は就活はもちろん、社会そのものが個性というものを重視し、尊重すべきだと思う。
だから「みんなと同じ格好」でなくてもいいし、「取り繕った、嘘を帯びた志望動機」も要らない、そんな世の中になってほしい。

ゴスロリファッションで面接会場にいってもいい、無論TPOはあるのはわかってはいるが、TPOをなくしちまえという話ではない。例えば結婚式や葬式の服装規定は守らねばならんが、「個性」をアピールする就活ならそれは度外視されてもいいと思う。
「なんとなくいいなと思いました」位の志望動機でもいいし、「学生時代に力を入れたこと」はやれボランティアや、やれ学内の委員会やらではなく、「毎日自炊をしておにぎりを作りました」位でもいいと思う。

肩肘をることも、個性を潰すことも、決して良いことではない。今まで就活をしてきた人の中に「個性を消す」ことに疑問を感じている人がいないはずがない、おそらくその数だけもやもやは溜まっている。この辺でそれを吹き飛ばす世の中にはならないものか。
ゆるくていい、誰かに合わせなくていい、それがスタンダードになってほしい。

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