5歳だったある日、母がわたしに「ピアノ習いたいと思わない?」と聞いてきた。
わたしは生まれて5年のうちにピアノについて考えたことがなかったので、不思議に思いながら「習わなくていい」と答えた。
その後も母は何度も「習いたいでしょ?」と聞いてきた。ピアノが弾けるようになったらどれだけ楽しいかを力説してきたので、まだ5歳のわたしは一瞬の気の迷いで「習う!」と言ってしまった。
今振り返るとこれが全ての始まりだった。わたしの生きづらさは今でも続いている。
初めて教室に行った時、優しそうな先生がオレンジジュースを出してくれて「これから一緒に頑張ろうね」と言った。ジュースで喜んだわたしは元気に返事をしたが、想像していた習い事のピアノとは全く違った。
レッスンは週1回だったが、毎晩毎晩母がつきっきりで練習をしていた。こんなに熱心なのに母自身はピアノが弾けなかった。それなのにわたしがうまく弾けないと、今の時代ではアウトなキレ方をしていた。何度も叩かれた。気づいたら母に怒られないためにピアノを弾いていた。
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そもそも自らやりたかったわけではなく、誘導尋問で始めたピアノなので、嫌で嫌で仕方なかった。5歳の言ったことに責任を持たせる教育方針だったのかもしれないが、母は自分がやらせたいくせにわたしが文句を言うと「自分がやるって言ったんだよね?」と悪徳業者のように凄んできたので、やめたいなんて言い出せなかった。
小学校に上がってもそれは変わらなかった。見たいテレビもあったしゲームもしたかった。何より学校で友達と話が合わないのが辛かった。練習している分、当時狭い町の同世代の中では弾ける方だったと思うが、褒められてもわたしは何も満たされなかった。
やりたくないことをやって、怒られて、うまくなっても母は褒めることなく当たり前のような顔をして、親戚や他所の人にわたしが褒められた時には満更でもなさそうな顔をしながら「そんなことないのよ、あの子は全然ダメな子で……」と言う必要のないわたしの悪口を言っていた。
わたしは誰に褒められても嬉しくない。母に認めて欲しかった。母が褒めてくれることがゴールだった。母が褒めてくれないとコンクールも発表会も終わらないのだ。
毎日が最悪で、わたしは小学生で自分が生まれたことを悔やんでいた。この先ずっと母とピアノから離れられないかもしれない。大人になるまで長すぎる。こんな世の中終わったほうがマシだと思っていた。
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そんな時、小学校5年でコンクールを間近に控えた頃だった。当時弟がスポーツ教室に通い始めた頃だったが、弟の方は父母会のようなものがあり友達の親が面倒をみてくれる時もあったので、実質わたしにつきっきりだった。
ある日母が弟の迎えにいくと言うのでついていったが、なんとなく車の後部座席から降りなかった。弟は教室の友達と遊んでいて、その横で母が友達の親と世間話をしているのをぼーっと眺めていた。
すると友達の親が「来週の試合は見に来られるの?」と母に聞いた。弟の試合がちょうどコンクールの日とかぶっていて、母はわたしに付き添う予定だった。弟に悪いなと思いながら会話を聞いていると、母は「ごめんなさい、来週は娘のピアノで行けないの。本当はそっちに行きたかったんだけど」と言った。
一瞬で全身から血の気がひいた。足が震えた。理由は怒りなのか悲しみなのかわからなかった。でも本当にショックだった。なぜそんな言われ方をしなければいけないのか。行きたかったら行けばいいのに、わたしは求めていない。ついてきて欲しいと思わない、そもそもピアノなんて弾きたくない。うまく弾けても喜んでもらえないのだから。
自分は何のためにつらい思いをしてきたんだろう。母は自分の体裁のためにわたしにピアノを習わせて、努力や成績を認めずさらにわたしを傷つける。
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あまりにショックで、帰宅してからも放心状態になり、絶対に怒られるとわかっていたがつい母に言ってしまった。「わたしのピアノに来たくないの?」と。母は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐハッとなった。わたしが何を言いたいのか気づいたようだった。
母は凄く嫌そうな顔をして、「嘘も方便って、知らないの?他所の人にはそう言うものって、なんでわからないの?」と言い残し、無言で夕飯の支度を始めた。わたしは何も言えなかった。
その後ピアノは高校卒業まで続けたが、わたしがあまりに興味がないことと才能がないとわかった高1くらいから、母のピアノ熱は冷めて、わたしの受験勉強の監督にシフトチェンジした。それはそれで大変だったが、自分でもやらなければならないことと思っていたし、母は大学に行っておらず受験に詳しくなかったのでどうにか耐えた。
社会人になってからも母の監視下で生活していたが、抜け出そうとして大喧嘩になった時に初めてあの時の話を母にした。母は何も覚えていなかった。なんなら「そう言うのは当たり前でしょ」と言っていた。その後母はどれだけわたしのことを愛し、心配していたかを語った。その言葉に嘘はなかったように感じた。
その時は再び腹が立ったが、少しお互い丸くなってからは、わたしも一旦言ってしまうかもしれないなと思えるようになった。母にも母の事情があったのだろうと思える。昔は自分が愛されていないのだと思ったが、そういうことでもないようだ。母なりにわたしのことを考えてやってくれていたらしい。でもそれはそれで、とても残酷だと思った。与えたい愛と求める愛。わたしたちはどうしたらよかったんだろうか。
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あの時母が何の気なしに言った嘘でわたしの心にはずっと棘が刺さっている。思い出すたびに暗いトンネルの中にいるような気持ちになる。
だから子どもができた時には、たくさん話を聞いて、たくさん褒めてあげたい。ちゃんと肯定してあげたい。わたしの愛する子どもが人生に背を向けることがないように。